海軍艦艇殉難史  千 島

 

 

水雷砲艦「千島」は、明治19年に仏国が日本の発注を受けて建造したが納品前に遭難亡失し

巡洋艦「畝傍」の建造費残額の回収を目的として、保険金によって建造された。

明治25年 4月 1日、仏国ロワール造船所にて竣工、同年11月24日に長崎入港、28日に

神戸へ向けて出港した。

30日、波静かなる暗夜、松山堀江沖の釣島水道において英国商船と衝突し、艦長の鏑木海

軍大尉以下乗員90名とともに海没した。

この事件により「海上衝突予防法」が制定され、昭和28年まで運用されている。

 

青山霊園

東京都港区

砲艦千島慰霊碑

 

  

砲艦千島慰霊碑

 

浄福寺

愛媛県松山市

    

千島艦遭難碑

 

艦艇殉難史

更新日:2009/06/07