峯 眞佐雄 奉職履歴

 

昭和60年 4月11日 日経産業新聞「転機」

親友の服で命ひろう

 

私は昭和十九年三月、海兵を卒業した七十三期生である。

直ちに空母瑞鶴に配属され、南方に赴任した。

十九年六月十九日、あ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加、作戦直前に乗ってきた飛行機搭乗員の中に、

中学の同級生岡本孝雄君の顔を見たときは本当に驚き、出撃まで毎日話したり酒を飲んだりした。

しかし、彼は遂に帰ってこなかった。

 

十月、捷一号作戦が発動された。

いわゆるレイテ沖海戦における小沢中将指揮下のおとり艦隊である。

二十五日遂に瑞鶴もその雄姿を比島沖に没した。

同行艦で健在であった駆逐艦の若月と初月が波間に泳ぐ私達を拾ってくれた。

私にとって、どちらの艦も同じ位置にあり、どちらを選んでもよかった。

でも若月には江田島で机を並べた親友の土屋幸次君が甲板士官で乗っていたはずだ。

若月で彼の服を貰えばいい。

私はこんなはなはだ虫のいい考えで若月を選択し、救助された。

 

内地に帰るべく北上しているとき、夜戦になった。

初月が敵艦の艦砲射撃をうけ炎とともにもうもうと煙をあげているのが見えた。

煙の消えたあと、初月の姿は夜の海の中に消えていた。

 

私はその後、人間魚雷「回天」の指揮官兼搭乗員となり千葉県大原に出撃したが、終戦となり、

現在の会社にお世話になることになった。

以来四十年が経過している。

その間幾多の転機はあったものの十九年十月の余りに強烈な印象が今も残っている。

 

瑞鶴沈没で乗船者の半分が命を落とした。

残った者も半数は初月に救助されたが、夜の海に消えた。

友達の服を貰えばいいという虫のいい考えがたまたま私の命をつないだ。

友人が今日の私を作ってくれたという気持ちで一杯である。

七十三期クラス会には今でも万難を排して参加している。

毎年新入社員には同期で入社した者同士の友人関係の絆を深くするようにと話をすることにしている。

 

※岡本孝雄

第九期甲種海軍飛行予科練習生(甲飛九期)

第一航空戦隊(六〇一海軍航空隊)所属

あ号作戦では第一次攻撃隊(彗星艦爆53機)の第十五小隊二番機(偵察員)

昭和19年 6月19日、航空母艦「瑞鶴」より発艦したが行方不明、戦死認定

 

第一次攻撃隊戦闘行動概要

0802 第一次攻撃隊(彗星艦爆53機、天山艦攻27機)翔鶴より発艦

1040 敵発見

1105 攻撃開始

1245 本隊着艦

戦果 敵空母一隻に命中せるを認む(火災)

.   その他相当多大の戦果ありと思考せらるるも攻撃隊の帰還者少く戦果不明

 

土屋幸次

海兵73期出身

駆逐艦「夕月」「若月」を経てマニラ防備隊

昭和20年 8月 4日、ルソン島にて戦死

 

目  次

更新日:2007/12/30