峯 眞佐雄 奉職履歴

 

平成13年 1月 海軍兵学校第73期クラス会報、全国回天会「まるろくだより」

故勝山 淳ならびに昭和二十年七月二十四日を偲ぶ会について

 

(1)はじめに

昭和二十年七月二十四日、勝山 淳君は、勝山君を隊長として六名で回天特別攻撃隊多聞隊の一艦

伊五三潜に搭乗、 レイテ・沖縄間の敵輸送ルートの攻撃の為、大津島基地を出撃した。

彼の活躍の様子を、現全国回天会会長小灘利春氏(兵72期)は次の様に書いておられます。

 

(まるろくだよりbQ1所載の一部)

『バシー海峡の東方で七月二十七日午後、伊五三潜は敵輸送船団を発見した。

後ろから追いかける不利な態勢である上、海が荒れていたが、勝山中尉のたっての要請で、艦長は

中尉の一号艇だけを発進させていた。

相手は七隻の輸送船で艦艇が九隻も護衛についていた。

船団の先頭で護衛部隊を指揮していた駆逐艦「アンダーヒル」の艦長ニューカム少佐は潜望鏡を発見して

爆雷攻撃を行い、 油の膜が浮かんで来たのを見て「日本の潜水艦一隻撃沈!」と無線電話で放送した途端に、

もう一本の潜望鏡を間近に発見し、「衝突用意」の号令を掛けて転舵、突進した。

直後に艦首で大爆発が起こり、破片と海水が空中千フィートの高さ迄吹き上がり、滝の様に落下した。

艦体は前部で真っ二つに切断、艦長以下の士官・兵員112人が命を落とした。

一・六トンの火薬が詰まった回天を乗り切ったためか、回天の搭乗員が操縦して命中したのか、

一体どちらなのか判らない のは、爆発の前に多数の乗員が、艦の前後左右に現れる回天を目撃している

からである。

回天は全速で一分間に千メートルを走り、命中しなければ反転、浮上して、再び突撃する。

駆逐艦の方もグルグル走り回ったであろうから、あちらこちらに見えて当然であろう。

戦史研究家の一部は今でも「回天が六〜七隻で同艦を協同攻撃した」と信じている。

その点、伊五八潜が魚雷で撃沈した重巡洋艦「インディアナポリス」を、回天が沈めたと言って聞かない人が

いるのと同じである。

この時は、真夜中でもあり、艦長が回天を出さなかった。

事実は勝山中尉の一人の大奮闘だったのである。

そして、誰が挙げた戦果であるかを確定出来る、回天では唯一のケースとなった。 …以下略…

 

(2)「偲ぶ会」

あれから五十五年が経った。

そして、平成十二年九月二十四日(日)茨城県那珂郡那珂町門部三八一三の勝山君の生家(現在故人の

長兄一家が居住) で『故勝山 淳ならびに昭和二十年七月二十四日を偲ぶ会』が催された。

勿論勝山君とアンダーヒルで戦死された方々を偲ぶ会である。

 

主賓

@ヘンリー・ロード氏(駆逐艦アンダーヒルで戦死された機関兵ヘンリー・A・ロードSr氏のご子息、当時二歳)

 

A勝山家御遺族

根本はな氏(故人の姉)

勝山忠男氏(弟)

庄司かつ子氏、鈴木ゆき氏、小野文江氏、勝山玲子氏(各妹)

勝山安子氏(故人の長兄夫人)

勝山忍氏(故人義弟)

小野正実氏(甥)

 

B

同席者

山田 穣氏(兵72期・当時伊五三潜航海兵)

峯 眞佐雄(兵73期・大津島で一緒・後十二突)

峯   一央(峯眞佐雄長男)

 

[偲ぶ会」は同家の奥座敷と続きの仏間で行われたが、この仏間はかつて勝山君が県立水戸中に在学中

勉強部屋に していたとのこと感慨一入であった。

 

(3)偲ぶ会が開かれるまでの

経緯

@先述の勝山君の甥の小野正実氏が、アメリカの戦史に関するHPを検索していた所、たまたま「

kaiten」の項目が

あった。

その内のアンダーヒルの元乗組員ロジャー・クラム氏の製作するHPを見つけた所その中に「勝山 淳」の

記載を見付け、同氏とメール交換を始めた

 

A同氏の紹介により勝山艇の攻撃で戦没したアンダーヒル乗組の機関兵曹長ヘンリー・ロード氏の長男

ヘンリー・ロード・Jrともメール交換を始める事となった。

 

B小野正実氏が、この経緯を基地出撃の第一回天隊「自龍隊の先任搭乗員河合不死男中尉(兵72)の姉の孫

加藤康人氏が開設するHP「回天特攻隊」の掲示板に発表した。

 

Cこの掲示板を小生の長男一央が見て、小野正実氏宛に「父が故勝山少佐と同期で且つ大津島で一緒だった」旨

をメール送信した所、小野正実氏より、「ヘンリー・ロード証氏が近々来日し勝山少佐の生家で話し合う事に

なっているので、ぜひ同席して欲しいと言う事になり、今回の出席となった。

 

Dしかし、当然潜水艦の話になるが、小生は説明出来ず、小灘氏(兵

72)に相談した所、たまたま勝山君の

搭乗した 伊五三潜の航海長が72期の山田 穣氏で、東村山市に御健在であるとの御教示を頂き、早速に

山田氏にお話した所 御快諾を頂き、同氏も当日出席して頂く事になった。

 

(4)「偲ぶ会」

当日は山田氏と小生親子が十二時に会場に到着したが、ロード氏は未着のまま、故人弟の勝山忠男氏と勝山君の、

思い出、山田氏から出撃の模様などを話していたが、

弟さんは涙ぐみながら、「兄は帰省したとき、学校の恩師へ挨拶に行った。私はそれを校庭で見付け声を掛けたら、

兄から『これで最後になるかも知れない』と言われ返事が出来なかった。そしてこれが兄と会った最後となった」。

また妹さんからは「大変優しい兄で、帰省の度に一人一人にお土産を実ってきてくれた」等、色々な思い出話がでた。

 

午後一時過ぎ、小野正実氏の車でロード氏が到着、夫々の挨拶を交わした後会食、その後色々話合いに入った。

要点は

ロード氏から

@アンダーヒルの遺族達で、戦後遺族会を結成氏、毎年一回アナポリスの海軍兵学校で遺族会を開催している。

同校ではアンダーヒル遺族会にのみ開催を瀞可している、とのこと。

それだけに由緒のある会と言う事だろう。

Aロード氏は、父の戦死の時の状況をどうしても知りたい、と言う事で、今回の会合となった。

 

山田氏から

B当時の伊五三潜の行動・勝山艇発進の状況などを説明したが、

ロード氏より「生存乗組員の話として、どうしても勝山艇一隻とは思えない、必ず数隻の潜水艦か回天が同時に

攻撃したに違いない。またその攻撃直前に日本軍の飛葡機が飛んでいたと聞いているが、飛行機よりの情報に

よって船団の存在を知り、回天攻撃をしたのか、又何故魚雷ではなく回天だったのか」等の質問があった。

これに対して山田氏は『攻撃は勝山艇のみで、飛行機の事は全く知らないと説明があり、前掲の小灘氏による

「まるろくだより」記事を詳細に話されていたが、先方は納得されたかどうか。

[この件に開し、後日小野正実氏より別の米国関係者にメールを送ったところ、信じられないとの回答があった

 との事である] 

 

C最後にロード氏より勝山家の皆様へ七「メッセージカード」を、遺族同士の心の交流の証しにと渡された。

この内容の公開は遠慮願いたいとの希望であったが、数日後同氏より私に対して、

『私の手紙に記された私の思い、感情は私と私の家族から、峯さんの友人である勝山 淳さん、淳さんの家族、

私の父、そして戦死した父の友人連への私の敬意と尊敬の証しとして送られたものです。

私がお話した重要なテーマは、地球上の全ての戦争の終結に対し、私のゆるぎない願いと和解を中心に置く

事でした。

そして私達の「偲ぶ会」を「昭和二十年七月二十四日」に亡くなった人達の人生を、誇りと尊敬・威厳をもって

讃える機会として捉える事でした。

どうか海兵七十三期の同期生・回天の元搭乗員の友人達と共に私の願いを分かち合って下さい。

私達の後に続く世代と共に平和私達を分かち合うこと。

私達の人生を通じてお互いに平和・誇り・尊敬を持ちたいと言う希望をどうか受け入れて下さい』

とのメッセージが届き、誠に敬意あふるるものであり、深い感銘を受けた。 

 

D特筆すべき事項。ロード氏は、アナポリス海軍兵学校に「回天」が展示されていると言った。

現在までに回天会で確認している回天は、下記のものだけと聞いていたので、早速写真を送ってもらう様

依頼した。

国内・靖國神社 遊就館内                一型

米国・米国キーポート海軍潜水艦博物館      一型

〃  ・ハワイ潜水艦博物館          四型

〃  ・バッケンサック海軍潜水艦博物館       二型または四型?

英国 ロンドン王室潜水艦博物館              二型部分

 

E尚、ロード氏は、江田島を見学して感銘を受け、展示されている特攻兵器も見てきたと育っていた。

 

以上が当日のあらましであるが、ロード氏は一四三〇頃帰られ、御遺族と山田氏・小生等が近くの勝山家墓地に

お参りし、 勝山君の武勲を称え、御冥福をお祈りした。

五十数年を経て貴重な会合に出席出来た事を感謝すると共に、当時を思い五十年の歳月の重みを噛み締め、

誠に感無量なものがあった。

又最新技術としての、ITインターネット等の威力を痛感した一日でもあった。

尚、茨城新聞では、当日の模様を別掲写真の様に(共同通信)報じていた。

 

平成12年9月25日/茨城新聞

 

平成12年 9月24日

故勝山 淳ならびに昭和二十年七月二十四日を偲ぶ会

  

     勝山少佐の実家                         勝山少佐の墓碑/峯眞佐雄、山田 穣氏

勝山忠雄氏、山田 穣氏(兵72、伊五三潜航海長)、峯眞佐雄                    

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更新日:2010/08/03