芙蓉部隊

 

 

昭和20年、海軍夜間戦闘機隊の戦闘第804・第812・第901飛行隊は藤枝海軍航空基地で再編され、

霊峰富士(別名「芙蓉峰」)に因み芙蓉部隊と呼称した。

沖縄戦に向け軍中央は特攻攻撃を主体とする作戦を決定したが、芙蓉部隊の指揮官、美濃部正少佐は、

特攻よりも正攻法である夜間銃爆撃を強硬に主張して特攻任務から除外され「彗星・零戦をもって昼夜を

分かたぬ猛訓練を開始した。

多くの部隊が「天一号作戦」の実行に向けて鹿児島・宮崎の各基地へ配置され、芙蓉部隊の主力第一陣も

昭和20年3月末に鹿屋基地にに進出

軍中央部が特攻を主力化する中、正攻法の夜間攻撃を貫いた芙蓉部隊は航空攻撃の先駆となり、暗夜、

艦船・飛行場に奇襲攻撃を敢行し多大な戦果を挙げた。

5月、鹿屋が空襲に曝されるようになり芙蓉部隊は岩川基地に展開。岩川基地は不時着用の飛行場だった

が、滑走路に草を敷き牛を放牧するなどのカムフラージュを行い、他の基地が空襲されたのに岩川基地は

最後まで米軍側に発見されず空襲を受けなかった

6月23日、沖縄守備隊が壊滅、海軍は沖縄を放棄、本土決戦の準備に移行し航空兵力は九州から引き揚

げたが、芙蓉部隊は沖縄に向けて「夜襲」を続行、8月に入っても連日十数機を沖縄方面に出撃させた。

 

終戦までの出撃 81回、延786機。 戦死103名

 

八合原地区

鹿児島県曽於郡大隈町

岩川海軍航空隊 芙蓉之塔

 

西馬場三区公民館

鹿児島県曽於郡松山町

岩川海軍航空隊 通信壕

 

  

岩川海軍航空隊 通信壕

 

  

岩川海軍航空隊 通信壕

 

本土防空

更新日:2009/12/12