宇佐空襲

 

昭和20年 3月18日

宇佐航空隊が、グラマンなどの米軍機から初めて攻撃を受ける。

 

昭和20年 5月 7日

B29の編隊が宇佐基地に投弾直後、陸軍飛行第四戦隊・村田 勉曹長操縦の双発戦闘機「屠竜」

が編隊の先頭機に正面から体当たり攻撃を敢行、両機ともに墜落し村田曹長と米側8名の計9名が

戦死。

 

昭和20年 4月21日

宇佐海軍航空隊はB29爆撃機編隊による激しい爆撃を受け壊滅。

三州国民学校(現・柳ヶ浦小学校)、柳ヶ浦高等女学校(現・ 柳ヶ浦高校)等が炎上。

江須賀地区にある蓮光寺周辺は、ひどく爆撃されたが、奇跡的に門だけが残る。

軍関係者約320人、民間人含めると約800人の死者が出たと言われるが正確な記録は無い。

 

昭和20年 8月 8日

米軍機による空襲で、航空隊周辺の畑田地区・江須賀地区が大きな被害を受ける。

 

爆弾池

大分県宇佐市

爆弾池

かつてはこのような爆弾の跡が無数にあったが、この以外は埋め戻された。

 

柳ヶ浦小学校(旧三州国民学校)

大分県宇佐市

機銃掃射の弾痕

 

落下傘整備場

大分県宇佐市

  

機銃掃射の弾痕

 

無線受信室

大分県宇佐市

  

機銃掃射の弾痕

 

蓮光寺

大分県宇佐市

生き残り門

説明版

安政二年の建立

昭和二十年四月二十一日午前八時二十五分 B29の空襲により本堂 庫裏全壊する

この門のみ奇跡的に倒壊せず寺の面目を保つ

この日 近くだけで死者十名 全半壊二十戸

 

都市空襲

更新日:2008/12/28