土浦海軍航空隊 爆撃

 

昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含む艦載機群の攻撃をうけ、折りしも本土防衛

の水上特攻要員(伏龍)編成中の第14期甲種飛行予科練習生・練成中の同第15・16期、後輩の訓練

に当たっていた第13期生及び教官・教員ほか隊員ら281名が、隊内及び周辺で散華した。

 

鹿島神社

茨城県稲敷郡阿見町

 

  

       防空壕跡                                 第二次世界大戦被爆跡記念之碑

碑文

太平洋戦争の末期、当時前線すでに戦力乏しく国内各地は空襲をうけ、物資食糧困窮のなかに、情勢

は国民すべてを捲き込む悲愴な「本土決戦」へとかたむいていた。時に昭和二十年六月十日、教育訓

練施設である土浦海軍航空隊に敵機群が来襲、折から本土防衛の水上特攻要員編成中の飛行予科

練習生を中心とする隊員ら二百八十一名が、隊内外で戦死、同時に、当青宿部落を中心に阿見町民

家も銃爆撃をうけ、民家多数が焼失又は爆破され住民六名が犠牲になるなど多大の戦災を被った。

傷恨の跡は、各地に点在するが、いまこれをすべて明らかに留めるところは少ない。そして、世は日に

つれて変わって行く。

この場所は、「命を捨てて同胞を護らん」と愛国の心に燃えて結集した十七・八歳を主体とする「予科

練」たちの一部が、武器持たぬ身に血をたぎらせながらやむなく退避した壕の跡であり、不運にも直撃

弾二発をうけ、多数が生埋めとなった悲傷の地である。ここにこの地の人達が集い、慰霊をおこなって

きた戦友・遺族らの意志を継いで、指標を建てる。春に先がけて散った若桜たちの、憂国同胞愛の清

明な心をとどめる「聖なる地」を顕彰し、ともに悠久の平和を希うことこそ、次の世代に伝える、この地

の人達の郷土愛のあかしとおもうからである。

 

法泉寺

茨城県稲敷郡阿見町

 

  

土浦海軍航空隊戦没者慰霊碑

墓誌

太平洋戦争も終末に近づいた昭和二十年六月十日、土浦海軍航空隊にB29爆撃機を含む艦載機

群の攻撃をうけ、折りしも本土防衛の水上特攻要員編成中の第十四期甲種飛行予科練習生・練成

中の同第十五・十六期、後輩の訓練に当たっていた第十三期生及び教官・教員ほか隊員ら二百八

十一名が、隊内及び周辺で散華した。

海軍適正部(現土浦第三高等学校)の庭で荼毘に付された遺骨はそれぞれ遺族に引渡されたが、

法泉寺第五十二世住職大僧正山岡英明和尚はその残骨を慈しんでこの地に葬り独り回向を続け

ること十数年、漸く平和よるがえる昭和三十六年六月第十七回忌法要に際し、土浦市・阿見町はじ

め広く各地有志の協力を得て墓碑を建立するに至った。以後、戦死者多数をだした十四期生同窓

十四桜会はじめ各期の戦友らが集い、遺族と共に供養をおこなっている。

時流れて三十年、七生報告・悠久の大義に殉じた若き命の冥福を祈り、ここに悲傷の日を迎える

にあたり墓所の縁起を記す。

 

都市空襲

更新日:2006/08/05