鳥栖空襲

 

昭和20年8月11日、午前10時半頃から約50分にわたり計3波の爆撃が繰り返され

鳥栖駅周辺の住民をはじめ、九州の鉄道拠点である旧国鉄鳥栖機関区や鳥栖電力区の職員

学徒動員の生徒・軍関係者らが亡くなった。

米攻撃機の編隊は国鉄ヤード周辺の藤木町・東町一帯を爆撃。北上して田代町を襲った。

続く第2波は南東から進入して今泉町と本鳥栖町の高射砲陣地を、そして第3波は西から

進入して元町と曽根崎町を爆撃した。

終戦の4日前、国鉄施設・高射砲陣地・片倉航空機製作所・日清製粉など軍需施設とその

周辺への鳥栖空襲による死者は119人にのぼった。

国鉄鳥栖電力区では防空壕に避難した職員7人と学徒動員生6人の計13人が死亡した。

 

藤木公園

佐賀県鳥栖市

頌魂碑

碑文

此の地は昭和二十年八月十一日米国機空襲の際所記の鳥栖電力区職員及び動員学徒諸氏が職務執行中その直撃弾を

蒙り悲壮なる戦死を遂げたるの地なり 依ってその英魂を弔慰し冥福を祈るものなり

昭和二十年十二月十一日建之 門鉄管内有志並ニ鳥栖電力区員一同

 

都市空襲

更新日:2016/07/23