沼津空襲

 

沼津市はサイパンと富士山とを結ぶB29の本土空襲コースの真下にあたり、軍需工場が

集中したため米軍による中小地方都市空襲の標的となった。

小規模な空襲や機銃掃射を受けており、合計では死者322人・重軽傷者634人・全半

焼11,756戸・、全半壊127戸という被害を受けた。

 

昭和19年11月30日

愛鷹村(現在の沼津市東椎路)に焼夷弾が投下。

 

昭和20年 1月 9日

大手町、上本通りに落とされた爆弾により5人が死亡・29人が負傷・建物36戸に被害。

 

昭和20年 4月11日

午前11時半ころ通横町、吉田町、下河原などに爆弾が投下され14人が死亡。

 

昭和20年 4月23日

海軍技術研究所周辺、女子挺身隊等9人が死亡。

 

昭和20年 5月 4日

東熊堂、2人が死亡。

 

昭和20年 5月17日

三枚橋・平町、11人が死亡。

 

昭和20年 5月28日

三枚橋・平町、死亡者無し。

 

昭和20年 7月17日

17日未明、米爆撃機B29の編隊130機が、海軍工廠や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空

3200mに侵入。愛鷹山と香貫山の高射砲が迎撃するも3時頃までに1,039トンの焼夷弾を投

下した。

これにより沼津市は、焼失 9,523戸・死者 274人という被害を受けた。米軍の記録によれば、

この空襲により沼津市は市街地の89.5%を破壊されたとされる。

 

昭和20年 8月 3日

大手町・沼津駅付近、3人が死亡。

 

香貫山

静岡県沼津市

慰霊平和塔

由来

この慰霊平和塔は、沼津市を一望のもとにおさめられる景勝の地、香貫山香陵台に、日清、日露及び第一次、

第二次世界大戦における沼津市出身の戦没者、ならびに戦災死者3,166柱をまつり、併せて世界恒久平和を

祈念して建立されたものです。

沼津市

 

慰霊平和塔

 

都市空襲

更新日:2012/04/01