成東駅爆破

 

敗戦わずか二日前の昭和二十年八月十三日、国鉄総武本線の成東駅下り貨物線に到着した貨車六輌

のうち、四車輌には偽装網に隠された高射砲四門と、二車輌に弾薬が積載されていた。

その日は早朝から空襲警報が発令され、米海軍機動艦隊艦載機による機銃掃射の攻撃が絶え間なく続

き、特に成東駅への攻撃は、執拗なまでの激しい攻撃であった。そして午前11時40分頃、グラマンF6F

戦闘機4機による機銃掃射で、一輌の弾薬貨車が引火、激しく煙をあげはじめた。駅長以下の国鉄職員

と、駅の要請により駆けつけた九十九里沿岸防備の近衛第三師団近衛歩兵第八連隊範第三八二四部

隊の将兵たちは、弾薬爆発と機銃掃射の危険のなか、必死に消火作業につとめたが、火勢は一向に衰

えをみせなかった。

最後の手段として引火貨車を切り離し、弾薬貨車を駅の構外(日向方面)へ機関車で牽引、住民や駅待

機の乗客、民家や駅舎などを爆発の被害から守ろうとしたが、午前11時五58分頃、弾薬貨車は大音響

とともに爆発し、消火作業に懸命だった駅職員、将兵、そして駅舎も貨車もすべて吹き飛ばされた。

 

犠牲者

駅職員15名、範部隊将兵24名、ほか将兵3名、計42名。

殉職した駅職員には14歳の少年職員や、若い女性職員など二十歳未満の職員が9名いた。

 

JR総武本線 成東駅

千葉県山武郡成東町

  

成東駅                                  礎の碑

碑文

昭和二十年八月十三日、敵機グラマンの攻撃を受け、成東駅構内下り一番線に停車中の軍弾薬

積載貨車は十一時四十分火煙を発した。之を認めた国鉄職員十五名、将兵二十七名は、被害を

最小限に止めようと機を失せず身を挺して貨車の隔離消火に努め、一方乗客及び町民を避難させ

たが、必死の検討も空しく十一時五十八分弾薬は遂に爆発して全員悉く壮烈な戦死を遂げ、平和

の礎と化しました。

昭和三十二年八月、十三回忌に当り、その功績をたたえ町民並びに鉄道職員を初め多数の方々

の御支援によって茲に礎の碑を建立せられました。

 

本行寺

千葉県山武郡成東町

  

国鉄職員/成東駅殉難者之墓

 

蒸気機関車の動輪がレリーフされた線香台

 

元倡寺

千葉県山武郡成東町

  

成東駅頭被爆戦没将兵之墓                     忠魂碑

碑文

昭和二十年八月十三日成東駅敵機の攻撃を受け大爆発を起こした際散華せられた二十五将兵の霊骨

を此に納む 其位階氏名等は境内忠魂碑に詳かである 今十三回忌に当り小碑を建立して其霊を祀る

 

都市空襲

更新日:2002/02/16