長岡空襲

 

昭和20年8月1日の22:30、新潟県長岡市は空襲を受けた。大量の焼夷弾が投下され、空襲警報発令から

わずか三分たらずで長岡市内の各地から火の手があがり全市が一瞬にして火の海と化した。旧市街地の約

八割が焼失、1,400余名の尊い命が奪われた。なかでも平潟神社境内では多数の人々が犠牲となった。

 

尚、県庁所在地の新潟市は数発の爆弾が落ちただけで、新潟港封鎖のために機雷が投下され、佐渡航路の

船が機銃掃射された程度に留まった。

当時、「長岡は山本五十六元帥の墓地が有るので、国民の戦意喪失を目的として空襲を受けた」と噂された。

 

平潟神社

新潟県長岡市

  

長岡市戦災殉難者慰霊塔

建設趣意

昭和二十年当時の長岡市は戸数一万三千 人口六万七千余でありました それが八月一日の戦災で わずか

二時間ばかりのうちに 八割二分に当たる家屋を焼失し 市長の殉職をはじめ千三百余の市民がその犠牲に

なったのであります

それから十三年 その惨状は昨日のことのように 今なお市民の記憶から離れないのであります

この塔はその殉難の霊を慰めるとともに このような不幸を再び繰り返さないよう願いをこめて 一般からの寄金

及び県と市の補助金によって ここに建設したものであります

昭和三十三年八月一日 長岡市戦災殉難者慰霊塔建設委員会

 

昌福寺

新潟県長岡市

戦災殉難者之墓

碑文

昭和二十年八月一日当市戦災 殉難者市長ほか千百四十名 茲に有志相計り全市民の浄財を以って永く

菩提を弔う

 

柳原公園

新潟県長岡市

柿川戦災殉難地の碑

碑文

清き柿川の辺り柳原町神明社境内で、昭和20年8月1日夜、太平洋戦争において此の地に空爆死された

犠牲者の冥福を祈り、命日五十回忌を期に哀悼の意を捧げる。

 

平和の森公園

新潟県長岡市

平和の像

由来

長岡空襲の犠牲者1,470余名の中には、280名余の学童が含まれていた。

このいたいけな学童たちの霊を慰めるため県教職員組合は全県下から募金を募り、慰霊と平和への限りない

願いを込めて像を作成した。

平和像の中には、銅版に刻まれた「昭和二十年八月一日長岡市戦災学徒名簿」が納められている。

 

都市空襲

更新日:2008/06/02