枕崎空襲
枕崎空襲
昭和20年3月17日 数十機のグラマンが山間部の集落に機銃掃射。この日が枕崎空襲の最初であった。
古くから南方漁業基地として栄えた枕崎には陸海軍の船舶も多く、大型漁船が多かったため軍に徴用され働き手の
男性は南方にあった。戦争末期には漁船用の造船所で軍用船を建造していた為、枕崎は波状的な空襲に見舞われ
ることになる。
昭和20年7月29日 午前7時40分、空襲警報と相前後して敵艦載機数十機による機銃掃射が始まり、市街地に
無数の焼夷弾がばらまかれた。
火は折からの強風にあおられて燃え広がり火の海となり、市街地の9割は焦土と化した。
死者38名、焼失家屋2,315戸。
枕崎台風
終戦1ヶ月後の9月17日、史上空前の枕崎台風が襲来、終戦直後で気象情報も少なく防災体制も不十分であった
ため、枕崎は壊滅的な打撃を受けた。
枕崎台風による被害者は九州・四国・山陽地方に及び、死者2,473人・行方不明者1,283人・負傷者2,452人
を記録した。
片平山公園
鹿児島県枕崎市
太平洋戦争戦没者慰霊碑(空襲の犠牲者を合祀)
更新日:2008/11/24