呉海軍工廠爆撃

 

昭和20年 6月22日、09:20頃から1時の間、呉海軍工廠はB29の大編隊290機による

空襲を受けた。

工廠の被害は潜水艦桟橋の付近が最もひどく、また港内に停泊していた「榛名」の四番砲塔

付近に爆弾が命中し推進器も破損、自力航行が不可能となり江田島・小用沖に曳航され繋

留された。

 

海軍工廠関係の死者 1,900名

 

呉海軍工廠への爆撃/米軍機撮影

 

鍋山第一公園

広島県呉市

呉空襲犠牲者殉国の塔

 

呉空襲犠牲者殉国の塔

碑文

太平洋戦争末期の昭和二十年六月二十二日 旧呉海軍工廠の空襲にて その職に

殉じ散華されたる四百七十六柱の霊よ安かれと この地に祀る

昭和四十年十一月再建  呉市警固屋町 仏教婦人会

 

愛媛縣護國神社

愛媛県松山市

松山高女 殉職女子挺身隊員慰霊之碑 挺身

碑文

殉職者

竹内和栄 武替悦子 渡部節子

太平洋戦争激化の昭和十九年県立松山高等女学校卒業と同時に祖国の危急に応じて女子挺身

隊員となり呉海軍工廠に赴き電気部三次電池工場に勤務中終戦を三ヶ月程に控えた昭和二十年

六月二十二日米機B29の爆撃を受け殉職された三柱の霊を慰め 併せてこれら乙女達が身命を

かけてかち得た国の平和が永遠に続く事を願ってこの碑を建てる

昭和五十二年十二月  愛媛県立松山高等女学校四十二期生

 

都市空襲

更新日:2011/02/13