熊本大空襲

 

昭和20年7月1日の空襲

B29爆撃機154機が、宇土半島の海岸線に沿って熊本市に侵入。1日の23時50分から翌2日の1時30分頃にかけ

熊本軍用地帯・熊本駅および操車場・工場群等を目標に焼夷弾1107トンを投下。

市街の大部分が焼失し、罹災人員36,314人、死者388人・重軽傷者475人・行方不明13人・家屋破壊・焼失

9,077戸。

 

昭和20年8月10日の空襲

8月10日午前、市街東方から侵入したB29と小型機の編隊約210機が県下一円を襲撃、熊本市でも7月1日の空襲で

焼け残っていた地域などが焼失した。

熊本市の被害は、罹災戸数1,551戸・罹災人員6,308人・死者45人・負傷者43人。

 

熊本市の空襲

月日 内容
昭和19年 11月21日 B29 80機九州西部に来襲、熊本市花園町柿原に500キロ爆弾10数発投下
昭和20年  3月18日 米艦載機県内各地空襲。三菱航空機被災(死者6名、負傷者13名)
   3月27日 熊本市健軍町の三菱重工業熊本航空機製作所が爆撃、機銃掃射を受ける。(死者1名)
   5月13日 三菱航空機(死者8人、負傷者3人)傷痍軍人療養施設再春荘、恵楓園、熊本工業学校が爆撃
   6月17日 B29県下工場地帯を夜間焼夷攻撃
   6月29日 早朝、B29約30機、県下各地を焼夷弾により空襲
   7月 1日 B29、154機が、翌2日未明にかけて熊本市を空襲、市内の大部分焼失、各種デマ流布
   7月 4日 B29戦爆連合九州へ、熊本郵便局焼失
   7月10日 小型機の戦爆連合約140機、熊本市及び県東北部へ
   7月24日 P51など小型機約1,500機県下各地へ、熊本駅も機銃掃射
   8月 5日 戦爆連合380機航空基地周辺へ
   8月 7日 戦爆連合250機、日窒・熊本市など各地
   8月10日 県下各地に早朝より戦爆連合約210機来来襲、各地の被害甚大、熊本市立高等女学校など焼失

 

熊本市の被害総計

罹災面積 363万975平方メ-トル(市街地面積の30%

被災戸数  1万1906戸               

被災者   4万7598人               

死者617人、負傷1,317人、行方不明13人     

 

白川 大甲橋

熊本県熊本市

熊本大空襲を記す碑

碑文

熊本市は昭和19年11月21日以来、数回(年表参照)の空襲を受けた。なかでも、昭和20年7月1日夜から2日未明

にかけてのB29による焼夷弾攻撃、8月10日等の空襲のため、水前寺、大江、本荘、春竹、本山、蓮台寺、八島方面、

新市街、下通、水道町、安巳橋、千反畑、草葉、坪井、黒髪方面等、市内の約3分の1が消失。 この間の罹災官公庁学校

は県庁、県会議事堂、県立図書館、財務局、税務署、専売局煙草工場、熊本郵便局、熊本幼稚園、白川、黒髪、壺川、池田

本荘、日吉、熊本の各国民学校、済々黌、熊本中学、市立、大江、家政、熊本工業、市立商工、薬専、熊本医大等、罹災家

屋総数11,000戸、罹災者数43,000人、死者数469人、負傷者数552人という。

筆舌につくせぬ悲惨な被害を受けた被害者の霊を弔い、再び戦争を繰り返さぬよう祈念するため この碑を建立するもので

ある。

1980年4月27日  ライオンズ国際協会337−D地区年次大会

 

都市空襲

更新日:2011/11/27