春日井空襲

 

昭和14年8月1日、陸軍千種兵器製造所から独立した鳥居松製造所は九九式歩兵銃の量産を目的とし、

昭和15年から稼動し昭和18年には月産万挺に達したという。

昭和20年 3月25日

米爆撃機B29が鳥居松製造所に飛来、防空壕のうち3ケ所は吹き飛ばされ26名の命が奪われた。

製造所の近隣地域でも3人が死亡した。

 

7月24日以降、名古屋に対する空襲が止まったが周辺地域への散発的な空襲は続いた。

 

昭和20年 8月14日

再び春日井に空襲が行われ模擬原爆4発が投下され、鳥居松製造所には3発が落下し完全に破壊された。

 

王子製紙

愛知県春日井市

慰霊

碑文

名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所は此地に所在して 九九式小銃を主とし各種の携帯兵器を生産する旧陸軍

最大の工場であった 大東亜戦争中一萬数千人の従業員は昼夜兼業にて生産奉国に挺身したが 昭和二十

年三月二十五日及び八月十四日の空襲により 永久保所長以下三十名の尊き殉国の士を出した事は痛恨の

極みである 爾来二十有一年の歳月は流れ平和の繁栄を見るにあたり 益々追憶の情に堪えず 茲に有志

の浄財により此碑を建設して慰霊の微意を捧げる

昭和四十一年十月  発起人 名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所元従業員の会 名鳥会

 

慰霊

 

都市空襲

更新日:2012/06/02