京都神足空襲

 

JR西日本 長岡京駅

京都府長岡京市

    

平和祈念碑

碑文

太平洋戦争末期の昭和二十年七月十九日午前十時半頃、長岡京市神足地区(当時は新神足村)は

天王山方面から飛来した米軍艦載機の銃撃を受け一名の尊い犠牲者と数名の負傷者を出しました。

また、同地区に有った日本輸送株式会社の煙突もその被弾の跡が、大戦の傷跡を残したまま、四十

有余年苛酷な戦禍の記憶を市民に伝え続けてきました。しかし、老朽による倒壊のおそれが生じたた

め、昭和六十二年秋に基部のみを残して撤去されました。

この「平和祈念碑」は、大戦の傷跡を残す煙突を五分の一の大きさに復元し、戦争の悲惨さを次の世

代へ伝える証人として建立したものです。

苛酷な戦禍の記憶は、平和を希求する原点であります。戦争という大きな犠牲のうえに築かれた平和

の尊さを、市民すべてがもう一度見直し、平和を後世に守り伝えなければなりません。

二度とこのような悲劇を繰り返さないことを誓い、平和への願いをこめ、七月十九日を本市の「平和の

日」と制定します。

平成元年七月十九日  長岡京市

 

都市空襲

更新日:2008/03/02