磐田空襲

 

御前崎付近上空がB29の進入コースだったため、昭和19年11月27日以来七回の空襲に見舞われ、

その被害は死者162名・家屋の全焼全壊333戸に及んだ。

特に、昭和20年5月19日の空襲では磐田市街地の広範囲に爆撃を受け、死者98名・家屋の全焼全壊

198戸に達した。

 

磐田北小学校

静岡県磐田郡磐田町

平和の碑

碑文

太平洋戦争末期、昭和20年5月19日の昼近く空襲警報が発令された。田中早苗訓導が引率する河原・

幸町等の児童は、学校から直ちに退避、磐田工業学校(現磐田北小幼稚園)の正門付近へさしかかった。

その時飛来した米空機B29が投下した爆弾が、道路の南側の溝に伏せていた児童を直撃した。

時に午前11時40分であった。

この爆発で田中早苗訓導が殉職、児童28名が死亡した。現地には翌年慰霊碑と「子どもやくよけ地蔵」

が建立された。以来毎年この日に慰霊祭が行われている。

戦後半世紀を経て、この碑が子どもたちに生命と平和の尊さを後世に語り継いでいけるようにとの強い

願いを込めて建立された。

平成8年5月19日  磐田北小学校 見付地区有志 他

 

平和の碑

 

磐田北小学校前の坂道

静岡県磐田郡磐田町

子どもやくよけ地蔵尊

 

子どもやくよけ地蔵尊

 

都市空襲

更新日:2012/01/01