宇治山田空襲

 

宇治 山田市(現在の伊勢市)への爆撃は、当時の日本の国家的重要地だった『神都』を攻撃することで日本人の戦意を

低下させる狙いがあったと言われている。

宇治山田市は、以降大きな爆撃を6回ほど受けるが、なかでも7月29日の爆撃はすさまじく、市内の約60%を焼失し、

死傷者は192名にのぼった。

 

昭和20年 1月14日 宇治山田市 初空襲。

.             外宮に爆弾6発、五丈殿・九丈殿・神楽殿の一部が破損

昭和20年 6月26日 瀧原宮三重県度会郡大紀町爆弾発、斎館の一部破損

昭和20年 7月28日 伊勢大空襲、市内の約60%を焼失、死傷者192名

.             外宮:焼夷弾を束ねたバンドが御垣内に落下、別宮多賀宮の御階を焦がす

.                 トラック台分の焼夷弾の殻が外宮宮域から搬出

.             内宮:五十鈴川対岸の山に焼夷弾

.             月夜見宮:萱の御屋根から焼夷弾の不発弾一発が突き刺さる

.             倭姫宮:、宿衛屋が全焼。

 

やすらぎ公園

三重県伊勢市

平和の礎 (空襲による殉難者を合祀)

 

都市空襲

更新日:2010/06/27