一関空襲

 

昭和20年8月10日午前、一関市は米艦載機による空襲を受け、国鉄一関駅から駅南部にかけて

32発の爆弾が投下され、さらに猛烈な機銃掃射が加えられた。

駅構内の貨物線防空壕には爆弾が直撃して駅員25名が即死、そのうち19名は14歳から20歳の

少年鉄道員だった。

一関駅の北西に位置する山目国民学校では二発の爆弾が投下され3名が死亡。その他、駅構内・

駅前交番・市街地でも死者を出し、計34名の犠牲者を数えた。

 

一関文化センター

岩手県一関市

平和

碑文

一九四五年八月十日朝の空襲で 市民三十四名が非命に倒れました 今日の平和のかげに

遺された痛恨の事実を刻み 再び戦争があってはならないという誓いをこめて建立します

 

都市空襲

更新日:2010/10/17