広島原爆

その他の原爆遺跡

 

江良共同墓地(陸軍病院跡)

山口県山口市

広島原爆死没者之碑、納骨堂(後方)

慰霊碑 建立の経過

一九七一年七月豊浦郡小串国立療養所山口病院から元山口陸軍病院に収容された被爆軍人の

カルテを発見 多数の死没者の存在を確認 一九七三年七月追跡の結果現認者と地元民の証

言で現場確認 八月七日現場除草 翌八日奉告式 九月七日被爆者福祉会館職員、山口大学

ユネスコ部員、学者、宗教者、被爆者、等による収集作業を行い十日完了 九月十四日山口

県、会館職員、学生代表により厚生省霊安室に仮安置 一九七四年五月碑建設委員会発足

県民の協力を得て建立に至る

建立月日 一九七四年九月六日  伊藤 ■ 藤井三男 山口県原爆被爆者福祉会館

原爆死没者之碑建設委員会

 

納骨堂 碑文

永遠の平和を誓い いしぶみに 原爆犠牲のみ霊安めん

 

納骨堂 建立の経過

被爆四十周年事業として昭和五十九年十一月十四日建立に着手 同年十一月二十一日建立地よ

り多くの被爆軍人の遺骨を収集

県市町村及び県民の多くの浄財を得て完成 昭和六十年九月六日第十一回原爆死没者追悼平和

式典において除幕

 

納骨堂 碑盤

慟哭

あの日の苦しみ いやさるることなく 無名兵士ら ここに眠る」

       昭和48年9月6日 被爆兵士遺骨発掘の場

 

咋岡神社

京都府京田辺市

草内平和塔

碑文

この塔は昭和三十九年草内老人会が特産の宇治茶を持参し、広島原爆病院を慰問、更に慰霊碑に

献茶を行い当時の惨状に接し「再び原爆許すまじ」の強い決意をしました。この事が縁となり広

島から原爆遺品が送られてきました。この尊い犠牲者の意思を具現し平和への道標とすべく、こ

の平和塔に遺品を収納し昭和四十三年八月六日除幕されました。

草内老人クラブ喜楽会

 

草内平和塔

 

都市空襲    原子爆弾

更新日:2013/04/21