八戸空襲

 

空襲の記録

昭和20年 7月14日

米軍機動部隊の艦載機が青函連絡船9隻を沈没させ、八戸・三沢・大湊などを空襲した。

八戸市外は、午前5時から7時、9時から11時の二度にわたり、米艦載機6Fグラマン戦闘機の至近弾による

波状攻撃を受け、高舘飛行場・日東化学・尻内駅が被害を受けた。

15日までの2日間で、死者・行方不明者452名、重軽傷者多数。

 

昭和20年 8月 9日

午前6時、グラマン戦闘機50機が八戸に来襲、海防艦稲木は八戸港蕪島沖で米軍グラマン編隊群との間に

壮絶な戦いを展開、ロケット弾を集中的にあびせられ「八戸の盾」となって沈没。

死者29人、負傷者35人

 

海防艦稲木

 

昭和20年 8月10日にも空襲があり、工場・民家等が爆撃され、多数の死者を出した。

 

昭和20年 8月17日

「八戸大空襲」の予告日とされていたが、その2日前に終戦を迎えたため、市街地の壊滅的な被害は免れた。

 

蕪嶋神社

青森県八戸市

海防艦稲木之碑

碑文

稲木乗組員 物故者皆様方のご冥福を心からお祈り申し上げます

昭和二十年八月九日 八戸港内に仮泊中の海防艦稲木は来襲せる米三十八機動部隊の艦載機群と

交戦 勇戦敢闘遂に沈没す

爾来三十八年 当時の乗組員並びにその父母 二世 及び関係者相図り 記念碑を建立して物故

者の霊を追悼し あわせて世界の恒久平和を祈念するものである

昭和五十八年八月七日

 

都市空襲

更新日:2009/11/01