ムッちゃん平和像

 

平和公園 ワンパク広場

大分県大分市

ムッちゃん平和像

碑文

戦争に父をとられ 横浜空襲で母、弟にはぐれ 大分に疎開して胸を病み 防空壕に一人暮して 飢え 渇き

逝った 少女 ムッちゃん 霊よ 安かれ

全国の祈りの寄金で建立 毎日新聞社

 

可憐な少女が 父母の愛をうけることなく 防空壕の中で逝った

ムッちゃんの像に 私達市民は 平和を愛し 子供達が 健やかに育つ大分

平和よ永遠なれど此の地に誓う

大分社長 佐藤益美

昭和五十八年八月十二日

 

  

ムッちゃん平和像

 

ムッちゃん平和像のご案内

この「ムッちゃん平和像」は、昭和52年に毎日新聞社大坂本社が企画した戦争体験記(昭和三十三回忌の夏)に、

京都府宇治市の主婦中尾町子さんが疎開先の大分で出会った少女「ムッちゃん」の思い出の手記を投稿し、それが

記事となって掲載されたのが建立のきっかけとなりました。

横浜で両親と弟を戦災で亡くし、大分のおばさんを慕って疎開していたムッちゃん(当時十二歳)は、結核を患い飢え

と孤独の苦しみの中、昭和二十年の終戦直後西大分駅近くの防空壕の中で一人寂しく死んでいったという

この戦争悲話は、全国的な反響を呼ぶこととなり、ムッちゃんの記念像建立にと各地から約六百五十万円の寄付金

が寄せられ、その平和を願う多くの浄財により、昭和五十八年八月十二日ここ平和公園ワンパク広場に「ムッちゃん

平和像」が建立序幕されました。

二度と戦争による悲惨な惨禍を繰り返さないためにも、この平和像建立を機に平和への誓いを新にするとともに平

和像が恒久平和のシンボルとして皆様に愛され、そして平和の輪が更に広がる事を願っております。

大分市

 

  

ムッちゃん平和像

 

都市空襲

更新日:2008/12/17