青森空襲
昭和20年 7月27日深夜、2機のB29が青森市に飛来、照明弾とともに6万枚程のビラを撒布。ビラには、
数日内に青森市を含む11の都市のうち4〜5ヶ所を爆撃するから避難するように書かれていたが、憲兵隊・
警察によって読む事を禁止され回収されたため市民には警告が伝わっらなかった。
また、7月14日から15日にかけて青函連絡船の空襲によって疎開していた人達は、青森市役所から「28日
までに戻ってこないと配給を停止する」の布告を受け、殆どの人は青森市に戻ってきていた。
7月28日、硫黄島を離陸したB29重爆撃機は、仙台湾から男鹿半島へ抜けて、鰺ヶ沢町附近から青森市に
向った。
21時15分 青森県地区警戒警報発令、22時10分 空襲警報発令。
暗闇に包まれた青森市に現れた62機のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下
を始め、M74六角焼夷弾38本を束ねた2,186発のE48焼夷集束弾が投下され、83,000本もの焼夷弾
が降り注いだ。
焼失家屋18,045戸(市街地の88%)、罹災者70,166名、死傷者1,767名(諸説有り)。
7月29日 00時22分 空襲警報解除。
M74六角焼夷弾焼夷弾
M74六角焼夷弾焼夷弾は従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾で、青森市がその実験場となった。
米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合に有効な兵器である」と結論づ
けている。
柳町通り
青森県青森市
平和観音像
平和観音像
碑文
平和の礎となった人々のために
青森市役所
青森県青森市
空襲・戦災都市青森の碑
三内霊園
青森県青森市
青森空襲犠牲者霊供養の鐘
碑文
三内霊園には7百有余の貴い人命が 昭和二十年七月二十八日夜 アメリカB29の盲爆の犠牲になり
今静かに眠っています
更新日:2008/11/24