海軍大尉 小灘利春
平成 7年
回天烈士ならびに回天搭載潜没潜水艦乗員追悼式
平成 8年 2月
回天作戦々没者の本年度の追悼式が11月12日午後、発祥の地徳山市大津島の回天碑の前で例年どおりの様式で
厳粛に執り行なわれた。
回天の搭乗員、整備員は141名が戦没し、また回天を搭載した潜水艦16隻が太平洋各地の敵泊地攻撃、
次いで洋上の航行艦攻撃に、合わせて34回の出撃を行なったが、その間に8隻を喪い戦没員は810名に及ぶ。
全国から参集された遺族、山口県、徳山市、県市議会の各代表をはじめ陸海空自衛隊各部隊、各種団体機関からの参列、
戦友、一般の参加が数多いなか、
期日を合わせて会合された回天搭載潜水艦の一隻、伊三六七潜の戦友会の方々の艦内帽姿か目立った。
回天碑手前の道の両側に並ぶ戦没隊員一人ひとりの氏名と出身地を別む御影石の銘碑には御遺族、戦友の供花か
陽光に映えていた。
実物大の黒々と光る回天模型を背に20人ほどの若人による「大徳山太鼓・回天」の奉納演奏があった。真
剣に太鼓を打ち鳴らす清らかな若い男女の群像に、特攻戦士たちが自らの生命に代えてこの地上に残そうとした
美しき日本民族の姿を見て胸を打つ喜びを覚えた。
五十年前、大津島の徳山湾に面する魚層調整工場で整備を了え訓練に入る回天を台車に載せ、
整備員が押してトンネルを通り周防灘を望む発射場に向う。
ストップ・ウオッチを首から吊るし海図、射角表それに懐中電灯を携えた搭乗員が暗く長いトンネルを回天に付添って歩くうち、
心が静まり身は引締って、ちょっとしたミスや不運が即座に死へつながる搭乗訓練に出発する気構えが固まっていった。
発射場に台車が着くと搭乗員は乗艇し、自分でハッチを閉め、クレーンで海面に卸されて
発射訓練場から水飛沫を上げて潜航、訓練に入った。
この島を訪れる人々の関心か深い発射場は、昭和12年軍機兵器93式魚雷の試射場として構築された頑丈なコンクリート造り
であるが、劣化か進んだため永久保存工事に既に着工し、トンネルの入口から奥か平成8年3月まで立入禁止になっている。
地元では「回天基地を保存する会」が有志多数により発足しており、回天碑、回天記念館を中心とする一帯の整備、拡充が今後さらに進展を見るものと期待されている。
更新日:2007/09/30