海軍大尉 小灘利春

 

平成10年度

楠公回天祭 参列報告

 

楠公社は人間魚雷「回天」を創案し、最初の必死兵器として実現にまで押し進め、且つ最初の殉職者となった

故・黒木博司少佐を祀るため、故郷の岐阜県益田郡下呂町 の信貴山頂に没後二十年の昭和三九年九月、

勧請された社である。

楠公社の周囲には回天碑、刻名碑、回天図碑、回天模型が並ぶ。

 

楠公回天祭は、黒木少佐とともに戦没回天隊員全員を合祀し、昭和四六年に結成された回天楠公社奉賛会が

中心となって、毎年九月に追悼の式典が実施されてきた。

平成十年は第三五回に当たる。

本年九月六日、午前十時より楠公社の神前で、岐阜護国神社の神官三人により楠公回天祭の厳粛な式典が

執り行われた。

折悪しく強い雨となったが、約百名が参列。祭主は平泉隆房氏、御遺族は黒木少佐の御妹丹羽教子様が出席された。

下呂町 長、海軍関係者はもとより、岐阜偕行会々長ほか陸士出身者も多数参列された。

 

直会は例年隣接する真言宗「山王坊」の広間で開催され、識者の講演、関係者の報告が行われるが、

今回は京都産業大学の所 功教授の「祖先と英霊の祭祀は誰が継ぐのか」という、遺族にとっては、

特に実子がいない回天各戦没者の場合現実的な重要問題についての講話であった。

缶入りの緑茶で乾杯、幕の内弁当と茶だけの、酒が出ない真面目な直会である。

 

楠公社が創建鎮座されて以来、岐阜県の教育関係者を中心に、地元団体の多くの方々の献身的な御尽力によって

年々盛大に運営されており、参列者も各地の教職者が多いことがこの慰霊祭の特色と感じられた。

前・靖国神社宮司の松平永芳氏が長年、回天楠公社奉賛会の幹事をつとめておられる。

同会事務局長は橋本秀雄氏。

開催日は九月七日を中心とする日曜日を選んで決められており、次回平成一一年は九月一二日と定められた。

 

顧みれば、黒木博司少佐が同期樋口孝少佐の初めての回天搭乗訓練に当たり、悪化する天候のなか、

徳山湾内で同乗し操縦指導中、艇が海底に突入した。

五四年前の同じ日、昭和十九年九月六日のことである。

その日も雨の中、夜通しの捜索であった。

しかし救助は間に合わず、遂に殉職された。

捜索には、開隊のとき着任していた搭乗員の全員が出動したが、彼らは総て出撃し、殆どが再び還らなかった。

その一人一人の顔が雨煙りのなかに浮かんでくる楠公回天祭であった。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2008/08/24