海軍大尉 小灘利春
愛媛県麦が浦の回天について
平成16年10月 1日
日本には既に存在しないとされる人間魚雷「回天一型改一」が愛媛県南部の海底に今も残っていると考えられる。
その事情は次のとおり。
. 間もなく終戦となって九月頃、米軍の命令によりその立会いのもとに佐伯海軍防備隊の曳船および
. 漁業関係者が作業して基地の回天壕より牽き出し沖合に曳航、海底に沈められた。
. その地点は当時の作業従事者ほかの証言から概ね判明しており、水深約八十メ−トルである。
2)その後の状況については、地元の情報によれば回天は引揚げられた様子がなく、また救難作業の専門家の
. 意見では回天を隠密裡に引揚げることはこの水深では不可能であるという。
. 従って、回天8基は今も海中にあるものと判断される。
3)これら回天はハッチを開放し海水を入れて沈められているので、水圧による艇体の変形はない。
. またこの程度の水深では、水密防水の頭部ほか艇の各部が圧潰、損傷を受けることはない筈である。
. また腐食の進行も浅所より遅いと見られる。
. 回天頭部の九八式爆薬は安定性が特に高く、海水にも溶けない。
. 慣性信管および手動電気信管を装着したまま投棄された可能性があるが、装着された場合も各信管には安全装置が
. あり危険性はない。
人間魚雷「回天」による特攻作戦は、昭和十九年十一月八日の菊水隊出撃に始まって回天特別攻撃隊一〇隊の搭載
潜水艦合わせて十六隻が延べ三二回の出撃を重ね、さらに陸上基地から発進する基地回天が四国、九州の沿岸を
中心に十三隊、実戦配備された。
この作戦に於いて回天搭乗員一〇六名が戦没、搭載潜水艦八隻、高速輸送艦一隻が喪われた。
実戦に使用された回天一型は約四二〇基が生産されたにもかかわらず、日本では米国から永久貸与中の一基が
靖国神社の遊就館に収められているのみである。
それも胴体の外板と訓練用頭部が当時使用された物というだけであって、内外部の諸装置および後半部の推進機関
など一切の装備が失われており、完備品ではない。
空前にして絶後の水中特攻兵器「回天」の歴史的事実を実証し、また長く後世に伝えるため、実物の回天の姿を
地上に留めることは誠に意義があると思われるが、多年にわたり各地を調査した結果からみて、
それが存在する可能性は愛媛県麦が浦周辺以外にはないと判断される。
よって、この地に回天が現実に在るか海底調査の実現を望む。
存在を確認できれば将来引揚げられ、永遠に我が国に残ることを期待したい。
更新日:2008/08/24