海軍大尉 小灘利春

 

回天(基地)を保存する会 「回天記念館 概要・収蔵目録」

回天を振り返って −元搭乗員に聞く

平成11年 3月

 

こうして今、発射基地に立ちますと、クレーンが無くなりましたし、回天を若干手直しできた所の屋根も無くなっておりますが、

しかし、この島も海もトンネルもほとんど当時と変わらない感じですね。

1日10本くらいの発射がありますが、そのつど搭乗員が、整備員と一緒に歩いてトンネルを来ます。

一歩間違えればたちまち殉職ということになりますから、相当な緊張をもってそれぞれが乗り込んで出て行きました。

今ここに立ちますと、当時の緊張した、同時に清々しい思いが浮かんできます。

 

彼らはどんな想いで回天を受け止めていたのでしょうか。

もうこういった非情の兵器が必要であろうとは考えておりました。それでこの任務につくということが分かった時には、

皆と一緒に非常に喜びまして、嬉しかったわけですが、ただ同時に何日か後には自分の命がなくなるわけですから、

人生とは何か、何のために人は生きるのか、また死とは何か、

そういったことについて急いでまとめなければと思いました。

それで真剣に考えたのですが、三日ほど考えてまとまりまして、それからは全然死ぬということを何とも思わなくなりました。

今の日本の民族を守るため、国を存続させるためにはこういった兵器でなければ既に戦えない状況になっていますから、

自分の命を捨てても多くの日本人を残す方が国にとって必要であるし、この強力な武器をもってすれば経済的であると、

それでこの自分の死によって多くの人が救われるのだという考えに行きつきましてね、

それでもう楽に死ねる心境になりましたですね。

それからは何とも死ぬことを思わなくなりました。

で、食べるものがおいしくなりまして、毎日の食事をあと何回かなと数えながら楽しく食ベておりました。

 

それはもう鮮明にいろんなことが眼の前に浮かんできますね。

いろんな出来事や人の顔、そういったものが他の時期にはないほど鮮明です。

戦後いろいろと楽しいこと、良いことがありましたけれども、やはり回天で過ごしたわずかな期間、これが最も充実して

自分も使命感に燃えていた時期ですね。

従っていつになっても忘れられないと思います。

 

平成11年 3月 回天(基地)を保存する会 「回天記念館 概要・収蔵目録」所収

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/30