海軍大尉 小灘利春

 

多聞隊 伊五十三潜回天の戦闘

(第二部:アールV.ジョンソンとの交戦)

平成17年11月20日

 

七月二四日、最初の回天発進で護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈したあと、伊五三潜は引き続いてパシー海峡

東方海域で索敵した。

二七日は不調の九三式水中聴音機を主体に、深度三〇〜四〇米で潜航哨戒していたが、一三〇〇頃に聴音機員から

「どうも周りが異常にザワザワしている」と報告があった。

艦長が慎重に潜望鏡を揚げてみたところ、何と数十隻もの南下中の大輸送船団のど真ん中にいた。

直ちに伊五三着は静粛に、急ぎ総員配置に就いた。

艦長は咄嗟のことであり、またあまりにも至近距離であるために魚雷も回天も使えず、

一旦列外に出てから攻撃しようと判断して操艦した。

敵船団の側も潜望鏡を発見し、兵員が砲を操作する姿まで見えたが、密集した船団であるから砲撃すれば味方を傷つける。

爆雷攻撃もできない。

回避しようとして隊列を乱せば相互に衝突する危険があるので、自縄自縛の状況と見られた。

こうして敵からの攻撃を受けることなく、舶団の後方に離脱したが、伊五三潜の態勢が整ったときは後方遠くに離れ、

魚雷攻撃は到底できなくなっていた。

一方、回天は搭乗員が強く要請したので、艦長は川尻 勉一飛曹の二号艇だけの発進を決めた。

後甲板から発進。約一時間ほど後に大音響が聞こえ、艦長は潜望鏡で目標の方向に黒煙を望見し「艦種不詳一隻撃沈」と

第六艦隊に報告した。

この日、この水域で回天が攻撃した船団名は目下のところ不明であり、損害を受けた艦船の記録も判明しないが、

密集した大船団ということから、他の多くの例と同様、戦車揚陸艦LSTで構成されていたものと思われる。

 

攻撃後、轍艦艇の捜索は受けなかったが、いずれ海空からの厳重な探索は必至なので哨戒位置を移動し、

二、三日してから会敵の機会が多いと思われる元の配備水域に戻った。

八月三日は日没後に浮上充電したのち二三〇〇頃から潜航哨戒に移った。

当日の天候は晴で、雲が少し浮かんでいた。

波浪階級三。月齢は半月を過ぎた二五.二であり、月出は〇二一五であった。

月明を利用できるのは〇三〇〇頃以降になる。

 

〇〇三〇頃、いきなり伊五三潜の頭上を駆逐艦が通過した。

薄気味悪いシャッ、シャッという推進器音が轟いたと思った次の瞬間、多数の爆雷が海面に落下する音が聞こえ

至近距離で爆発した。

同艦は在来の「九三式聴音機」に加えて新式の「三式探信儀」を今回装備していたが、潜水艦にとって貴重な電力を大量に

消費する上、強力な超音波を発射するので敵に探知されやすく、平素は使わなかった。

しかし既に轍に発見されており、切羽詰まっているため使用して敵情を採ると、対潜艦艇五隻が半径一粁で包囲し、

交互に伊五三潜に接近して爆雷攻撃をしてくることが分かった。

艦長は右に左に急旋回したり、深度を三〇から最大一〇〇米まで浅く深く急激に変えては回避を続けた。

爆雷が至近で爆発するたびに艦体は激しく震動し、艦内の器具は散乱して惨憺たる有り様となった。

搭乗員関 豊興少尉が司令塔に上がってきて「回天を出して下さい。相手が駆逐艦でも不足はありません」と発進を催促したが、

艦長は「暗夜の回天攻撃は無理」として斥けた。

歴戦の乗組員もこれほど猛烈な爆雷攻撃を受けた趣験はなかったという。

そのうち爆雷が艦底の近くで爆発し、主蓄電池が破損した。一切の動力が停止して、舵も機械も動かず、艦内の電灯は消えた。

万策尽きたと思われたが、全員必至の努力で故障を復旧し、何とか動力を回復できた。

その間に関少尉が再び来て

「私たちは回天で突入することを本望としております。このままでは死にきれません。夜間でも粘り強く食い下がって、必ず成功します。

回天の搭乗員が大勢、出撃の順番を待っております。伊五三潜は何としてでも生き残って、回天作戦を繰り返してください」と

艦長に詰め寄った。

爆雷攻撃は激しさを増しており、艦長も母潜がいつまで頑張れるか疑問と考え、まだ海上は暗黒であるが早めに、

全艇の「回天戦用意」を命令した。

 

残る四基の搭乗員は暗い艦内を懐中電灯のほのかな明かりを頼りに、交通筒を通ってそれぞれの回天に乗艇した。

乗員たちは拝むように見送った。

訓練にはなかった深度四十米からの回天発進である。

〇二三〇頃、まだ月明かりを利用できる時刻ではないが、関 豊興少尉の五号艇が発進した。

執拗に繰り返された敵の爆雷攻撃のため、伊五三潜は既に相当の被害を被っていたが、直撃は受けていかった。

二〇分ほど経った〇二五〇頃、回天爆発の大音響が轟いた。探知したところ、周囲の対潜艦艇は一隻減り、

損傷艦救助のためか敵は三箇所になった。

 

大場艦長は回天の使用方法について、逐次連続発進ではなく、経過を観察しながら機をみて次の回天を発進させてゆく方針で

あったと思われる。

このときは特に視界の条件が悪く、その必要を意識されたのであろう。

艦長は大爆発音を聞いたのち三号艇の荒川正弘一飛曹に発進を命じ、〇三〇〇頃回天は艦を離れていった。

〇三三二頃大爆発音が轟き、敵の推進機音は二隻に減少、やがて一カ所になり、暫くして推進機音はすべて消滅した。

 

四号艇の高橋(竹林)博一飛曹は、関少尉が発進したのち自分の発進を待つ間も爆雷攻撃が続き、その衝撃で

「四塩化炭素」の容器が破損してガスが艇内に漏れ出したため、中毒して意識不明となった。

回天の機関を発動する際、純粋酸素が燃焼室内でいきなり燃料の灯油と接触すると爆発するため、

最初は不燃性の四塩化炭素を酸素に混入して純度を下げ、安全に燃焼が始まるようにしていた。

この薬品は液体で毒性があり、金属と反応するためガラスの瓶に入っている。

 

六号艇の坂本雅俊一飛曹は、荒川一飛曹の回天が発進していったあと爆雷の至近爆発のために酸素パイプに亀裂が

入ったらしく、高圧酸素が漏洩し圧力計が下降しはじめた。

艇内の気圧が上昇して苦しく、彼は「一刻も早く出して下さい」と電話で叫んだ。

「六号艇発進!」の号令とともに発動桿を力一杯押したが機械冷走、酸素の圧力計が急速に下がり始めた。

「冷走!」と報告し、命により機械を停止したが、艇内の気圧がさらに高まり、そのまま人事不省に陥った。

二人とも艦内に収容されて手当てを受けたのち、意識を回復したが、高橋一飛曹は内地に帰着次第入院し、

治療に長い期間かかかった。

 

この夜、伊五三潜が遭遇した敵船団は沖蝿より「レイテ湾」に向かう「OK第九輸送船団」であった。

同船団は五縦列の戦車揚陸艦LST、計二五隻で構成されていた。

護衛駆逐艦「アールV.ジョンソン」は僚艦「ノックス」、「メイジャー」および護衛駆潜艇PCE−849とともに護衛任務に就いた。

先任艦は「ジョンソン」であり、隊列の真前に位置して先導、哨戒した。

四日〇〇二三、「ジョンソン」は潜水艦をソナーで前方の真方位一九〇度、距離八〇〇ヤードに探知した。

左四五度緊急一斉回頭を無線電話で命令し、船団は直ちに変針した。

北韓二〇度一七分、東経一二八度一〇分の地点であった。使用時刻は日本時間と同一である。

「ジ、ヨンソン」艦長J.J.ジョーディ少佐は「緊急爆雷攻撃」を号令し、速力を一八ノットに増達して〇〇二六、

浅深度爆雷一四発を投下した。

成果不明のため再探知操作に入り、距離一三〇〇ヤードに再び良好な感度を錮んだ。

〇〇五五、爆雷九個を中深度で投射、やはり効果が現れず、航跡波の影響が過大であると判断して精密索敵法による

探知作業を開始した。

西方向の捜索を終了したが、この方向は最初に反応があったところなので再度実施を決定した。

〇一四〇、作業を終了したがやはり分からず、PCE−849を呼んで支援させた。

ソナーで良好な接触を掴んだので、攻撃の急速接近行動をとり、〇二一二、中深度に設定した爆雷九個を投下した。

今度も損害を与えた確証がなく、再探知操作に入った。

PCEが〇二三三、自艇が探知した目標をヘッジホッグで攻撃した。

その直後の〇二三五、魚雷の航跡が「ジョンソン」の艦首の左三〇度から艦首前方一〇ヤードを通過した。

艦長は無線電話で通話中であったため雷跡を視認していなかったが「魚雷が右舷から来て後方に通過していった」と最初に聞いて、

雷跡を辿って発射した潜水艦を捕捉しようとして右舷一杯を令した。

そのあと「実際は、魚雷は左前方から来た」と聞き、舵を取り直して示された航跡を辿った。

ソナーの反応と聴音の報告が数回あった。

しかしPCEがその方向にいて、それを探知したものであった。

 

〇二四五、二本の魚雷が「ジョンソン」の左舷正横に突進してきた。

航跡の角度は舷側に対して垂直であった。

最初の魚雷は艦首の前方一〇ヤード以内を通過。二本目の魚雷は同艦の艦艇中央の直下を通過した

これは散開角をつけた魚雷攻撃であると「ジョンソン」艦長は判断した。

魚雷が艦首を通過して何秒かのち、爆発が起こった

距離約一〇〇〇ヤードで雷跡が消え、その場所で大きな真っ黒い煙が海面から立ち昇った。

「ジョンソン」は左に一杯転舵して雷跡の方向を逆に辿り、この魚雷を発射した潜水艦を発見次第衝撃して沈めようとした。

しかし成功しなかった。

あと付近海域に航跡が入り乱れ、捜索のあいだソナーの反応が連続する成り行きとなった。

音響機器の具合も悪く、危険な状況であるため、艦長は一時的に現場を離脱し、海水が安定するのを待つことに決めて南下したが、

PCE−849が良好な反応を掴んで〇二五六、二回目のヘッジホッグ発射を行った。

これを支援するため針路を反転、水中聴音に反響が入ったのでその方向に進んだ。

これも不明であり、あと度々の反応に都度行動したが成果がなかった。

 

〇三三〇、「ジョンソン」がソナーの良好な反応を掴んで爆雷一四個を投射した。

爆発が終わったあとに、水中で起こった大爆発音が聞こえた。

暗いなかに白い煙の大きな柱が見えた。

爆発はあまりにも激しく、「ジョンソン」の一号主機械が勤かなくなった。

残る主機械一台だけで前進するはかなく、操舵機も故障、後部の応急操舵装置に切り換えて、応急操舵によって

現場を離れた。

艦長は戦場を離脱して船団に合流するのが最善の処置であると判断した。

大船団の近くにいるのは護衛駆逐艦「ノックス」と「メイジャー」の僅か二隻だけであって、船団護衛の能力が足りない。

また「ジョンソン」としても、現場に残っていても操舵能力が不充分であり、推進機関も一台なので、

潜水艦を攻撃しようにも思い通りには動けず、逆に自身が潜水艦の餌食になる恐れが強かったからという。

攻める一方であった「ジョンソン」が、逃げる立場に逆転したのである。

途中で応急修理を行った上、一〇〇〇頃船団に復帰した。

 

伊五三潜は関少尉と荒川兵曹の献身突撃によって、辛うじて危機を脱した。

同艦は潜航を続けながら艦内の被害箇所の修復につとめ、四日夜になって浮上、爆雷による損害を調査したが、

かなりの損傷であるものの作戦行動は可能と判断し、戦闘速報を打電して哨戒任務を続けた。

八月七日頃帰還命令を受信し、豊後水道を「シュノーケル」潜航で通過して十二日大津島に到着、

残った二基の回天を陸に揚げ、搭乗員と整備員を上陸させて十三日発、同日呉に一ヵ月ぶりに帰還した。

そして翌々日、終戦の玉音放送を聴いた。

 

米側各艦の経過記録は書式に従って詳細な数値を列ねた明確な文書になっている一方、伊五三潜側の諸行動の時刻は

多くの日本の潜水艦と同様、刻々と記録されたものではない。

司令塔の内部が狭く、人数が限られるために、水上艦艇と違って記録担当者がいない。

緻密な性格の艦長は、潜航襲撃中は暇な信号員長などに特に指示して時刻のメモを取らせていたという。

この戦闘についても戦後の乗員、搭乗員の記憶は一致せず、かなりの幅があるので、最も合理的と見られる

水雷長大堀 正大尉の記憶に基づいて各種資料の多くが作成されている。

この戦闘の経過で日米双方に共通し、従って一致する筈の時刻は「二回の回天の爆発」である。

回天の第一回の爆発は伊五三潜が〇二二〇頃とするのに対し、米側は〇二四六頃、第二回は日本側〇二四〇頃に対して

〇三三二であった。

これらから見ると伊五三潜側が記述する諸時刻は概ね三〇分ほど、乃至はそれ以上早いようである。

また伊五三着は当日の月齢二二〜三、月出時刻〇一〇〇頃として諸行動の時刻の基準にしているが、

海上保安庁水路部の算出によれば「この地点の月出は〇二一五、月齢二五.二」である。

これであれば伊五八潜艦長の同日頃の記述とも矛盾しないので、伊五三着が記述する時刻ほかを修正した。

 

第一回の関少尉艇の攻撃は「ジョンソン」の艦首前方僅か一〇米を、〇二三五通過した。

「二本の魚雷」は一本を誤認したものであろうが、艦の真下を通過してのち○二四六頃、敵艦に最も近い場所と判断して

自ら電気信管のスイッチを押して自爆したものと推察される。

波浪があり、月明かりが殆どない暗夜の海上で敵影を捜し求めて遂に捉え、見事に敵艦の中央を衝いたが、

設定深度が深かかったためであろうか、無念にも艦底通過に終わった。

 

二基目の荒川兵曹の攻撃は発進約三十分後に目標に迫り、爆雷の大量投射を浴びたので、敵艦が近くにいると判断して、

〇三三二頃自爆したものと推察される。

これが「ジョンソン」に損傷を与え、敵の対潜艦艇を戦場から離脱させた。

ともに悪条件に打ち勝って奮闘し、身を以て護衛駆逐艦を撃退し、母潜水艦を救ったのである。

 

(注)回天搭載位置(05917確認、補正)

勝山 淳中尉   一号艇  後甲板 中央 後部  724発進

川尻 勉一飛曹  二号艇     左舷     727発進

荒川正弘一飛曹  三号艇     右舷     84発進

高橋 博一飛曹  四号艇     中央 前部  

関 豊興少尉   五号艇  前甲板 右舷     84発進

坂本雅刀一飛曹  六号艇     左舷

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/10/28