海軍大尉 小灘利春

 

多聞隊 伊号第三六七潜水艦の終戦

平成17年 8月

 

伊号第三六七潜水艦は回天特別攻撃隊・振武隊として昭和二十年五月、回天五基を搭載して

山口県大津島基地を出撃し、沖縄東方海域で行動した。

敵船団を発見して回天二基が発進したのは、奇しくも海軍記念日の五月二七日であった。

同艦第二次の多聞隊では、母潜水艦六隻中の一艦として七月十九日に大津島を出撃し、

沖縄南東四百浬付近の洋上で航行中の敵輸送船団を求め行動した。

艦長は今西三郎大尉。回天搭乗員は藤田克己中尉(兵科三期予備士官)安西信夫少尉(兵科四期予備士官)

岡田 純、吉留文男、井上恒樹 各一等飛行兵曹(第十三期甲種飛行予科練習生出身下士官)の五名であった。

 

しかしながら、連日の荒天に翻弄された上、敵船団には遭遇せず、回天が発進する機会は遂になかった。

行動が長期にわたったため、八月十日、第六艦隊から帰投命令を受けて、五基の回天を甲板に載せたまま

帰途に就いた。

広島、次いで長崎への原爆投下は新聞 電報で知った。

 

八月十五日の正午は豊後水道を北上中で、宇和島の沖あたりであった。

重大放送があるということで、全員がラジオ放送を聞いたが、雑音が強く、殆ど聞き取れなかった。

一時間後に玉音放送の内容が暗号電報で入ったので、今西艦長は状況を明確に把握できた。

しかし戦時の航海中であり、何処に如何なる危険が伏在しいるか分からないので、乗員には一切知らせず、

そのまま航行を続けた。

夕刻五時過ぎに大津島に入港、回天搭乗員五名は直ちに基地に上睦した。

間もなくクレーン船が来て回天を吊り上げ、艦から下ろした。

一段落して、艦長は全乗員を甲板上に集めて戦争終結の旨を伝え、混乱のないよう訓示した。

そのあいだに巨きな月が昇っていた。説明する艦長にはそれが深い印象として残っている。 

 

伊三六七潜水艦は翌十六日の午前八時、出港して呉に向かい、作戦行動を終った。

大津島の基地では正午の玉音放送を全員に聞かせるようラジオ受信機を各所に用意したが、

搭乗訓練と兵器整備作業は中断できないので続行した。

 

この基地は特攻最前線を意識し獅子奮迅の練成を続けていたのであるが、突如迎えた終戦という思いも掛けぬ

事態に混乱した。

保有する回天全部を四八時間以内に実戦に使用できるよう緊急整備した。

搭乗訓練は普段どおり何日間か続行した。

十六日、平生基地から回天特攻・神洲隊の伊一五九潜水艦が日本海に向け出撃していった。

その平生では十八日未明、橋口寛大尉が回天の操縦席で拳銃自決した。

 

終戦に反対し、決起を叫ぶ搭乗員たちが多かったが、

呉鎮守府長官の金沢正夫中将が八月三日に水上機で飛来して説得に当たったので、ようやく沈静化した。

各訓練基地、出撃基地の回天搭乗員たちは早急な復員を指示され、大津島でも二五日頃には殆どの人員が

島を去ってゆき、活気に溢れていた大津島の回天基地も急に寂しくなった。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/17