海軍大尉 小灘利春
回天の無形の戦果
平成12年 6月 日
回天は物的戦果よりも無形の戦果が大きかったと米軍自身が評価しております。
私は進出していた八丈島で終戦を迎え、
十月末になって重巡洋艦クインシーの艦隊が武装解除にやって来ました。
海軍部隊司令の元戦艦大和砲術長、砲術学校教頭であった中川寿雄大佐(兵学校五十期)が大発で交渉に赴くと、
上のほうから「近寄るな!」と叫んで舷梯に着けさせず、「回天は今、どうしているか?」と訊きます。
司令が機転を利かせて「信管を外して、動けなくしてある」と答えたところ
「それなら上がってこい」と漸く乗艦させて貰えました。
日本三大要塞のひとつという陸海軍二万二千人が守る八丈島の武装解除は回天が真先でしたが、
艦長以下多数の米軍士官が回天を参観にやって来て、私どもに大層な尊敬を示してくれました。
終戦となってマニラのマッカーサー司令部に連絡に赴いた日本側の軍使は、
真先に会った参謀長サザーランド中将にいきなり「回天を搭載した潜水艦は何隻洋上にいるか?」
と訊ねられて「十隻ぐらい」と答えたところ、
参謀長は真っ青になって「それは大変だ!一刻も早く帰投させて貰わねぱならぬ」
と強い口調で言ったそうです。
また、第九五機動部隊司令官のオルデンドルフ少将は
「戦いを継続してゆく上で、回天は最大の脅威になっていた。日本本土を基地とする回天が実際に
使用されていたならぱ、連合国側の侵攻部隊に対して甚大な損害を与えていたであろう」
とレポートしております。
米軍が如何に回天を恐れていたかが、これらで判ると思います。
「海軍兵学校77期会会報「江田島」第71号 [特集]海軍史の側面 人間魚雷・回天について
更新日:2007/09/09