海軍大尉 小灘利春

 

回 天

 

平成14年12月 鎌倉水交会回想録

小灘 利春(兵72)

 

私が小学校に入ったのは昭和五年、逗子の町にいたときでした。

その年来日したツェッペリンの飛行船が銀色にキラキラ光る姿を上空に現した時の光景が

今も鮮やかに目に浮びます。

そのときの湘南の群青色の空の印象が忘れがたく、家を持つことになったとき、迷わず湘南の地を選び、

今は鎌倉の一隅に居ます。

加えて今西会長は戦中、回天搭載潜水艦の艦長でしたので、元・回天搭乗員の私としては、鎌倉水交会には

一方ならぬ御縁がありながら、今なお回天関係の記録資料や調査の課題を抱え、催しへの出席は不良でした。

特攻は日本海軍の光輝ある伝統にはそぐわない、異質な戦法であったことは確かです。

ひとの命を一度だけの使い捨てにする戦闘手段ですから、「決死隊」はよいとしながら「必死隊」を否定した

海軍は、折角の酸素魚雷の卓絶した性能を活かす人間魚雷の請願を拒否し続けました。

結局はしかし、圧倒的な戦力の質と量の格差から、戦い続ける限りは特攻を採るよりはなかったのでしょう。

体当たり攻撃専用の回天は、典型的な特攻兵器といえますが、戦後マスコミは「回天は非人道的な兵器」と

非難を浴びせます。

テレビ番組は「外からハッチを閉められて、泣いても叫んでも開けてもらえない」と繰り返し取り上げました。

しかし、上と下にあるハッチは、開閉するハンドルが艇の内側にしか付いていません。

搭乗員が自分で閉め、自分で開ける構造なのです。

それに、操縦は強い精神力と高度な技術を前提とします。

訓練も数多く重ねる必要があります。

「無理にでも乗せて、蓋をしてしまえば命中する」ような、人柱をたてるための兵器ではないのです。 

 

若い生命を自ら断つことは非常に辛いものです。

命あるものすべて自己保存の本能があるのに、還ることのない特攻の道を敢えて選び、進んでいったのは

自分のためではなく、より大いなるものを護るためでした。

多くの若人が回天搭乗員を志願し、戦死してゆきましたが、彼らは「悲惨な犠牲者」ではありません。

日本人の誇りを背に、我が国が初めて直面した国家と国民の存亡の危機に立ち向かい、自らの命に代えて

「大いなるもの」を護ろうとした「勇者」「日本男児」なのです。

軍人は、戦争になれば全力を尽くして戦う責務があります。

この国がまさに破減の淵に臨んだとき、到底歯が立たないと、軍人が手を拱いていてよい筈はありません。

日本の軍人は、当然、それぞれの配置にあって最善を尽くしたと思いますが、幸い炸薬量一・六トン、

水中速力三〇ノットという強力な武器を手にした我々は、「最高の配置を与えられた」と喜び合い、

使命感に燃えました。

人間魚雷ならば、敵の何千人かが乗る巨艦といえども艦底に大穴をあけ撃沈することが、

たった一人の働きで出来るのです。

敵軍の本土上陸、軍隊と住民を問わぬ惨憺たる陸上戦闘の殺戮を阻止するには最も効果的な戦法であったと

考えます。

たとえ制空権、制海権を失ってしまった洋上でも、潜水艦に搭載された人間魚雷であれば、行動し、

戦うことができます。

現実に、終戦の時なお洋上にあって戦力を保持し、敵を求め続けていたのは回天を搭載した潜水艦群でした。

終戦処理打合せのためマニラのマッカーサー司令部に到着した日本の軍使の顔を見るなり、

サザーランド参謀長は「回天を積んだ潜水艦は、何隻洋上にいるか」と質問、全艦の即時帰投を要求しました。

これも回天の有形無形の威力を敵軍が十分に認識していたことを物語るものでしょう。

 

回天の搭乗員は、兵学校70期・機関学校51期以降、予備士官は兵科3期以降、

予科練出身下士官は甲13期と乙20期、それに水雷科の下士官で構成され、

搭乗員の総勢は一、三七五名になりました。

回天の訓練基地は、最終的に四ヶ所開設され、各基地一人ずつの兵学校71期が先任搭乗員として

隊員の先頭に立ち、訓練の運営と指導に当たりました。

回天隊の特攻出撃は、自然に「上の者から、着任の早い者から」の順番になりました。

そのため、開隊当時着任した兵学校・機関学校出身の士官二十名は、殉職者二人以外は一人残らず出撃してゆき、

生きて環ってきたのは、会敵の機会を得なかった兵学校71期の帖佐 裕大尉と72期の私だけでした。

回天の搭乗員は、合わせて八十九名が戦没し、十五名が殉職(内三名は敵機が投下した磁気機雷による訓練中の戦死)、

終戦直後二名が自決しました。

回天の結果は如何であったか、彼らの献身が報いられたか、は重要な問題でありながら、

戦闘状況には不明の点が今なお多々ありますが、威力と可能性を備えながらも、

結果的には戦局に影響するだけの戦果があったとは遺憾ながら言えません。

 

目下私どもは「回天の成功と失敗」について、日本側の資料はもとより、解禁された米海軍側の記録を

重点的に収集して分析を進めております。

関連要素を (1)兵器 (2)搭乗員(3)運用に分けると、最後の(3)が根本的要因であり、

結果を最も大きく左右したと判断されます。これらの解析と証明を、我々の責務として急がねばなりません。

「自国が始めさえしなければ戦争はない。いつまでも平和」と思い込んでいる向きがいますが、

今の日本が備えるべき戦争は、外から攻め込まれる場合しかありません。

「自分たちの国は自分たちで護る」、どこの国民でも根底にもっている当然の意識が、何故この国では薄いのか。

ひとりひとりが率直にこの国の在り方を考え直す時期が、これ以上遅れてはならないように思います。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2008/12/21