甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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北海道回天会「 回天と北の若人」

佐藤  登

土浦空−回天 (大津島)−第三回天隊(油津)

竜舌蘭の花咲く日南に散った友を偲んで

 

昭和十八年十一月二十九日、憧れの土空四六分隊一六〇名での海軍生活が始まりました。

三ケ月後、偵察四一分隊に編成替えとなって猛訓練中の十九年八月末、

九名の仲間と共に同期の百名が選ばれ、真夏の土空を後に予科練を巣立った若者の中に、

夏堀 昭・井出籠 博の両君がおりました。

呉潜水艦基地隊Q基地を経て九月二十一日、徳山湾口大津島基地に、

人間魚雷回天搭乗員として着任しました。

甲飛十三期生としては初めての事でした。

飛行機乗りが海を潜る回天乗りとは、夢想だにしなかった驚きでしたが、

戦局急を告げる国難に立ち向い、決死の猛訓練が昼夜を分かたず続いた。

 

夏堀 昭(前列左)、井出籠 博後列右)、佐藤 登(後列左)

前列左から二人目は羽田 育三中尉(兵73/ 第三回天隊長)

 

十一月よりは菊水隊、十二月金剛隊、翌年二月千早隊、三月神武隊・多々良隊、

四月天武隊と続いて出撃、遠く南冥の果てに、又沖縄、硫黄島海域に必死必中の

回天特攻作戦のさなか、

五月に羽田中尉、夏堀・井出籠・奥山、六月に塩津少尉、浅野・高野・佐藤 登の

計八名の搭乗員が帖佐大尉を隊長に、日南の油津港大節に掘削された壕に回天九基、

整備員、基地隊員と共に第三回天隊第三三突撃隊として配置につき、

近づく米軍上陸に備え、敵艦船への体当りを期して秘に訓練を重ねておりました。

更に大堂津に佐賀少尉他三名、南郷栄松に永見中尉他六名が配置され、

うち道内出身者六名、樺太出身者一名の北国健児が米艦の来襲を窺っておりました。

 

七月に入り、宮崎寄りの内海港に分連隊開設となり、油津より隊長以下数名の搭乗員が

しばしば出向き作業に当っていたが、十六日、基地隊員と共に回天の収容・壕への搬入と、

昼夜兼行の作業を続け、翌一七日早朝二時頃完了、午前中は自由行動との事で眠りにつき、

疲れを癒している状況でした。

 

五時半頃起床してみると、夏堀、井出龍の姿が見えなかった。

内海港防波堤へ好きな釣りにでも出かけたなと同僚と語り合いつつ朝食を摂ったが、

そのすぐ後の七時三〇分頃、突然米P51二機による銃爆撃の急襲を受け、

急遽裏山の壕に退避、彼等二名の安否を気遣っていた処、

約二〇分後、基地隊員より搭乗服の一名が防波堤電柱の蔭で倒れているとの通報があり、

二手に別れ捜索した。

内海防波堤は井出龍で、頭部腹部一三粍機銃貫通で戦死。

夏堀は走り込んだ二階建住宅爆撃による倒壊の下敷きとなったとの住民からの通報で、

全基地隊員による収容作業の結果、全身爆砕による戦死と夫々確認、収容した。

納棺、軍艦旗につつみ油津基地に帰還、翌十八日、宮崎空よりガソリンの補給を受け、

午後、油津山中にて搭乗員、整備員により茶毘に付した。

海軍葬を近くの正行寺と思われるお寺で行い、遺骨の分骨は隊舎に安置された。

二十二日には稲永、前田の両君が大津島より交替配置につきました。

米艦の轟沈を念頭に、必死必中の猛訓練を続け、前進基地にて待機中の戦死、

無念余りあるものがあります。

両君は、共に釧路中出身で、中学・海軍生活・出撃先も一緒と、兄弟、親友以上の仲でした。

この無念さを思う時、搭乗員一同深く心に期し、殉忠の誠を尽さんと誓い合った次第でした。

米軍機による油津の空襲でも回天には異常がなく、米軍上陸近しと日夜訓練に励んでいましたが、

まさか一ケ月後に終戦、夫々の故郷へ帰る事になろうとは、誰が予想出来たでしょうか。

終戦となり、遺骨は海軍葬執行のお寺の納骨堂へ安置、

分骨を同僚の浅野、高野、奥山の三君に託し、私共八名で夫々の故郷へと向いました。

両君の分骨は、浅野 豊氏により復員後直ちに釧路のご遺族にお渡し戴いたと

拝聴致しております。

 

両君と日南に油津でお別れして既に四十七年の歳月が流れ、

私の脳裏からは両君の面影が離れません。

度は油津の寺院に参詣をと念願致しておりましたが、

平成四年十一月八日大津島にての回天烈士戦没潜水乗組員追悼式に家内共々参列のあと、

十日に油津正行寺を訪ね、御尊前に焼香し、両君の在りし日を偲んで参りました。

同寺の当時を知る老御住職は、既に七年前往生の素懐をとげられて亡く、

野崎正彦住職、同和子夫人、前住職夫人純子さん、

戦中戦後史に詳しい日南市油津漁協参事の青木繁さん、

史実に詳しい日南市の柴田雅夫さん等がお寺に集まられたのでお話申し上げました処、

両君の葬儀及び終戦時遺骨を安置させて戴いた寺院と確認されました。

同寺は、終戦直後の九月二十五日南九州を襲った枕崎台風の直撃を受け、

本堂、納骨堂、庫裏迄全て倒壊し、遺骨等もバラバラとなり、

お檀家の方々の手により可能な限り収集し葬った由であり、

現在の建物は全て再建されたものです。

永い間の念願が叶い、安堵いたしている処です。

終戦を目前にし、竜舌蘭の花咲く日南の海に、かけがえのない尊い命を捧げた

両君の無念さはもとより、御遺族の悲しみは察するに余りあり、

申し上げる言葉もありません。

二度とこのような尊い犠牲を強いる戦争のない、平和な日本をとお誓いする次第です。

ここに御遺族、有縁の方々に、ありし日の夏堀、井出龍両君を偲び筆をとった次第です。

拙文をお許し下さい。

合 掌

土空甲飛十三期 元三三突撃隊油津回天隊搭乗員 佐藤 登

 

日南海岸の竜舌蘭

 

関西甲飛十三期会 殉國之碑

更新日:2009/12/06