甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

関西甲飛十三期会 公認ホームページ

 

会報「總員起こし」 第 27号/平成11年

岡田 純

奈良空−回天振武隊(伊367)−回天多聞隊(伊367)

「 最後の回天全国大会 挙行される」

 

昭和五十年八月二日に第一回を大阪(海上自衛隊阪神基地隊にて自衛艦と潜水艦の見学、東洋ホテルでの総会)で開催し、

五十二年九月二十五・六日に第二回を軽井沢で開催して以来、二十有余年間に各地持回りで続けて来た回天全国大会が、

平成十年十一月八・九日に開催された徳山大会並に大津島回天基地跡での回天烈士追悼式典を以って

其の幕を閉じることになった。

想い起せば初代関西回天会事務局長の故久本晋作君が、同期隊員の協力を得たとは云え、その為に命を縮めたとも言はれる

程の献身的努力の末に、第一回を開催してから二十有余年の問に、回天碑並に回天記念館の建設、ハワイからの回天実物の

返還と靖国神社への奉納等の大事業を成功させたのも、旧隊員の同志的結合の絆となった回天会全国大会の大きな功績で

あったと云えよう。

 

斯かる意義ある大会が今回を以って終止符を打つことに就いては賛否両論があり、特にまだ体力に自信のある隊員にとっては

誠に残念なことであったが、全体的な高齢化の波には抗し得ず。又回天発祥の地で最終大会を飾ると云う大義名分には

同意せざるを得なかったと云うのが実情であった。

但し組織としての全国回天会は其の俵存続し「まるろく便り」の発行も、事実の探求も従来通り行う。

単に全国大会のみを終了し、地区回天会の行事は引き続き行うので「まるろく便り」に速かに掲載して出来るだけ他地区からも

協賛参加することが議決され、最後の全国総会は終った。

 

扨て今回の参加者は、事前の案内状には最終なる文言は一句も入れなかったにも拘らず、虫が知らせたのか、将又大津島での

追悼式典参加が隊員の心を揺さぶったのか、近年にない百六十余名に及ぶ参加者で、会場のホテルだけでは収容し切れず、

三ヶ所に分宿せざるを得ない程の盛況となった。

懇親会の冒頭にイ三六九潜航海長泉 五郎氏(兵72期)の作詞「回天特別攻撃隊」を、薩摩琵琶普門院二世宗家の森園史城氏

(兵77期)が弾じ、最後の全国大会を飾るにふさわしい一夜であった。

明けて九日の大津島回天基地跡で挙行された回天烈士追悼式典及び回天記念館新装披露式典には、臨時便を二隻出す程で、

約六百名の参加者を数え、船着場わら発射場、回天碑に至るコースは参加者でひきも切らず、島は空前の賑わいであった。

奇しくも前日の十一月八日は、回天特別攻撃隊の第一陣である菊水隊の潜水艦三隻 (イ36・イ37・イ47)搭乗員十二名が

ウルシー、パラオにに向けて大津島を出撃した日で、ひとしお感銘の深い追悼式典であった。 

烈士追悼式に先立って、神戸市役所センター合唱団が同団創立三十五周年記念の組曲「滄海ようたって−人間魚雷回天」を

公演(十二月六日)に先行して烈士の諸霊に第四、第五章の初演を捧げて頂き、御遺族始め参列者一同の心をうち、

熱い拍手がしばし続いて居た。

同団員の方方も直接大津島の地で戦死者の墓碑と記念館の展示物に接し、回天とは!!と感銘深い様であった。

半世紀を経た回天ではあるが、新しい形となって伝へられていく事を痛感した一日であった。

「回天基地を保存する会」による周辺整備により、隧道内の写真展示や発射場での音声案内、船着場を中心とした港湾整備に

より、様相を一変させた様な感じになりました。

 

今後も徳山市により十一月第二日曜日には毎年追悼式も継続されますので、十三期の期友諸兄におかれましても

一度訪れて頂きたいものと願って擱筆致します。

 

  

「回天特別攻撃隊」を弾ずる森園史城氏                 大徳山太鼓「回天」     

 

岡田  純

更新日:2007/11/03