甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

関西甲飛十三期会 公認ホームページ

 

会報「總員起こし」 第 33号/平成17年

岡田 純

奈良空−回天振武隊(伊367)−回天多聞隊(伊367)

第三十一回殉國之碑慰霊例祭 祭文

 

本日茲に第三十一回殉國之碑慰霊祭を執り行うに当り、過ぎし日の追憶の一端を述べさせて

頂きます。

憶えば、吾等甲飛十三期生は昭和十九年末期以降の特攻作戦要員として、その青春と生命を

捧げて 来たのであります。命を捧げし者、即ち碑面に刻まれし一千四名、兄等は今 此の友苑

に天下ってい るのでしょうか。暫し私の追憶の言の葉をお聞き下さい。

不肖私は、回天特別攻撃隊員振武隊及び多聞隊の一員として二回の出撃機会を与えられ乍ら、

不覚 にも生還し、以来今日まで亡き戦友達に精神的な負い目を抱きつつ同期の慰霊と回天特

攻の語り部としての使命ありと心に刻みつけて参りました。

幸いにも本日其の機会を与えられたと信じ、共に出撃した此の碑面に其の名を刻した千葉、小

野両少 尉の発進、戦死に至るまでの実情を申し述べ、語り部としての使命の一端を果たしたい

と思います。

 

昭和二十年五月五日、回天五基を搭載したイ号三六七潜水艦は「神潮と区別攻撃隊振武隊」と

命名され、山口県徳山市沖の大津島基地を出撃した。

前甲板に一号艇・藤田中尉、二号艇・吉留文夫一飛曹(土空)、後甲板に三号艇・千葉三郎一飛

曹(土 空)、四号艇・岡田 純一飛曹(奈良空)、五号艇・小野正明一飛曹(土空) が搭載されて

いた。 出撃してより配備点なる沖縄〜サイパン間の敵補給路にて会敵するまでの二十日間、その

間回天戦 用意三回ありたりも聴音のみにて敵影見えず、発進機会なく、遂に二十六日、六艦隊司

令部より帰投命令下る。

これ、潜水艦の長時間潜航継続により行動期間二十日を過ぎれば回天の故障多発の戦訓ありた

る 為なり。同夜艦長よりその旨を告げられた我々五名は、明日は五月二十七日の海軍記念日な

る故、 良き事有るべしと一日の猶予を願い出たところ、艦長これを諒として待敵位置を五〇浬移

動せしむ。 その夜虫が知らせたか、我々同期四名は隣室の機関室より蒸留水を貰い受け、二十

日振りに身を 清めたるを思い起こす。

果たせるかな、二十七日未明沖縄に向かう敵輸送船団を発見す。

以下、同艦機関科電気担当の兵頭上飛曹が、戦後発表せる当時の日記を述べる。

 

五月二十七日 〇三三〇敵船団発見、総員配置に就け、好機遂に到来す。〇四〇〇急速潜航、

〇七一五回天戦用意、〇九一〇全回天発進せんとするも一・二・四号艇不調発進不能。

小野・千葉 両勇士、遂に敵船団に突入、艦種不詳二隻を轟沈せしめ大任を全うする。

二十七日 二一〇〇浮上 航走充電、

五月二十八日 〇四三〇潜航、一八三〇浮上、艦は帰途に就く

 

と、 此の日記にある如く、回天戦用意にて乗艇してより発進するまで二時間、その間、好位置への

接敵運動も効なく、 機械発動寸前の敵状は次の如し、

 

目標敵輸送船団、敵速十二ノット、距離八千、方位角右百二十度、 針路〇〇度にて二十ノット、

二十分潜航後浮上、攻撃せよ

 

であった。

此の状況のもと、冷走により発進不能となり、令により機械を停止した私は、受話器を通じて聞こ

える三、 五号艇と司令塔との交信を聞くのみであったが、特に三号艇・千葉が特眼鏡の不具合に

ついて交信しているのが聞き取れた。

直ちに吾は特眼鏡を上げ、以後斜め前方の三号艇のみを注視し続けた。午前九時の西太平洋

十八米 の海中は明るい。突然受話器の中で「用意テー」の大声が耳を聾する。数秒後三号艇の

後部バンドが音を立てて外れ、急速にスクリューの回転を増した。

千葉の三号艇は特眼鏡を上げたまま視界から消えていった。瞬時瞑目の後、左側の小野はと

見れば、彼の五号艇もその姿なし。

ああ、吾のみ残りしかと愕然とするも、念の為、特眼鏡を百八十度旋回して前甲板を見るや、二

号艇の残留を確認す。

ああ、空しく帰るは吾のみに非ずと知った時の不思議な安堵感、筆舌に尽くし難し。

千葉・小野発進して四十分後、爆発音一、更に五分後爆発音一を艇内にて明瞭に聞く。二万米以

上 の遠方にて千葉・小野の両勇士は、一屯六百の炸薬により己が愛艇と共に玉と砕けた。

時に五月二十七日午前九時四十分と四十五分、命中音なりや、自爆音なりや、永遠の謎。

 

あの時から五十九年もの永い年月が経ちました。若くして散った千葉・小野の分まで働けと天が命

じる のでしょうか、死に損ないの三人はまだ生きています。だが既に八十を超えた今、何れ遠くない

日に彼岸の参る事でしょう。

願わくば在天の英霊諸兄よ、遅ればせながら参ずる我らを、旗下に加えられんことを願うと共に、

兄等 の眠り永久に安かれと念じ、追憶の言葉を終わります。

平成十六年四月十一日

 

  

昭和20年 5月 5日 回天特別攻撃隊振武隊 出撃の日/大津島

 

平成16年 4月11日 橿原神宮・甲飛十三期慰霊例祭にて

第三十一回慰霊例祭 祭典委員長として祭文を奏上

 

岡田  純

更新日:2007/10/12