甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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平成17年 4月10日

甲飛十三期殉國之碑 第三十 二回慰霊例祭

祭典委員長 祭文

 

祭典委員長 末吉  充(福岡県甲飛十三期会会長)

我が日本肇国の聖地、畝傍の森、ここ橿原神宮の神域、若桜友苑にご遺族ご来賓、その他多数の方々のご参列を仰ぎ

「第十三期海軍甲種飛行予科練習生殉国之碑」 の御前に於いて一千四柱の英霊に対し、

生存同期生を代表して謹んで申し上げます。

 

顧り見まするに、大東亜戦争の最中、昭和十八年の秋、国家存亡の危機を感じとった我々は、この未曾有の国難に

殉ぜんと十三期甲種飛行予科練習生として、二万八千名が六航空隊にそれぞれ入隊し、怨敵を撃滅すべく

飛行機搭乗員を目指し、猛訓練に励んだのであります。

その中にあって昭和十九年、不利な戦局を一挙に挽回せんと飛行機にあらざる必死必殺の新兵器が開発されるに及び、

その搭乗員としての志願者募集が行なわれ、四航空隊より四千名が選抜されました。

その新兵器は即ち、水上は震洋、水中は人間魚雷の回天、特殊潜航艇の蚊龍、海龍であります。

この様に逼迫せる戦局に飛行機は云うに及ばず、あらゆる特攻兵器の要員として戦ったのであります。

特別攻撃隊員として散華されし諸兄、作戦を目前にして訓練中に、また転戦移動中に、或いは病魔に犯され

志半ばにして無念にも散った兄等の偉大なる勲は、決して我らの脳裏から消え去るものではありません。

今年は大東亜戦争終結六十年を迎え、我々も既に高齢に達しておりますが、兄等の純粋なる大和魂により

具現された愛国心は我々の生ある限り、否、次世代に至るまで語り継いでいく事をお誓い申し上げます。

兄等の眠りが永久に安らかからん事を念じまして、私の慰霊追悼の言葉と致します。

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/04