甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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平成17年 4月10日

第三十二回 甲飛十三期殉國之碑慰霊例祭

朗読された遺書

 

海軍少尉 上西徳英君

遺書

人間果たして一生にいくぱくの事をなす。

生れては死に、覚めては眠る。

五十の年月は瞬時の光芒い過ぎずして、大宇宙に比すれば 五尺の体躯いずこに在りや。

小躯何に捉われ、何にか迷ふ。

世の長寿を祈り、幸福を願ふ者に失笑を感ずるのみ。

我が人生は二十なり。

五十に較ぶれば、その半ばにも満たず。

しかして、この間に為すべき事の、あまりにも多き事か。

しかも余命二ケ月、為さんと思ひしことの幾分かをなす能ふや。

全精力をもって、いかほど為しうるか。測り見ん。

 

出撃中の伊三六六潜内にて

妄想スル勿レ。

故郷ヲ懐フモ、自ラ限度アリ。

先輩ノ霊、照覧シアリ。

自ラ省ミ恥ズベキ行ヒ、考へスラ持ツべカラズ。

家人モシコノ項ヲ見ラレナバ、探ク蔵シテ人目二曝ス勿レ。

特攻隊トイエドモ人間ナリ。

何モ言ハズ、考フルモ直チニ忘レ、タダ殉忠ニ生クル筈ナリ。

神ナリ。人ニ非ズ。深クコノ点ヲ考へヨ。

夢ハ、正夢ナリヤ。余リニモ見ル夢ノ、真ニ迫ル。

以心伝心ナリヤ。故郷ノ夢バカリ。

明日ハ必ズ死ナン。予感アリ。

祖国ヲ既ニ千海里、南十字ヲ仰ギツツ、偲ブハ故郷カ、想フハ誰カ、彼ノ人力。

勇士陣中二閑アリテ、雲ト波トノソノ世界。

歌アリ、詩アリ、涙アリ。

剣ノ心得。「迷ハズ、疑ハズ、怯マズ」ト。

剣ノ道ハ無我、死トハ、無ナリ。

 

随筆

お父さん、お父さんの髭は痛かったです。

お母さん、情は人の為ならず。

忠範よ、最愛の弟よ、日本男児は「御盾」となれ。

他に残すことなし。

和ちゃん、海は私です。

青い静かな海は常の私、逆巻く濤は怒れる私の顔。

敏子、すくすくと伸びよ。

兄は、いつでもお前を見ているぞ。

 

経歴と当時の状況を説明

遺書朗読に先立ち、故海軍少尉 上西徳英君の経歴と 当時の状況を説明致します。

上西徳英君は 大正十五年十二月二十三日 福岡県生まれ

県立築上中学より 昭和十八年十二月一日 第十三期海軍甲種飛行予科練習生として 奈良海軍航空隊に入隊

昭和十九年九月一日 回天搭乗員として第一特別基地隊に配属

昭和二十年八月一日 回天特別攻撃 隊多聞隊として 伊号二六六潜水艦にて光基地を出撃

八月十一日 沖縄南東海域にて敵艦隊を攻撃、突入戦死されました。当時十八歳、 海軍一等飛行兵曹。

戦死後、功四級勲六等に叙せられ、海軍少尉に任ぜられました。

当時は、隊長成瀬中尉、鈴木少尉以下同期生三人と五基の回天で出撃し、沖縄南東洋上で敵船団を発見、

成瀬中尉、上西一飛曹、佐野一飛曹の三名は共に突入、散華されたが、

副隊長と一名の回天は故障のため発進不能で生還しました。

上西、佐野の両君は予科練を卒業された奈良空十六分隊の優等生であります。

同分隊の私は一足先に出撃しながら彼等を見送り一週間後 再度出撃するも命永らえ ここに当時の説明を申し上げる

皮肉な運命に唇を咬み、両君はじめ御霊の慰霊顕彰に生涯を捧げることを お誓い申し上げ説明を終わります。

それでは、同じく福岡県出身で、上西少尉と中学同級生にして十三期同期の井上昭義さん 遺書の朗読をお願いします。

 

遺書朗読に 同期・同窓生(奈良空・築上中学)が奉仕

絶好の好天に恵まれて開催された第三十二回殉国之碑慰霊例祭も、末吉祭典委員長が祭文奏上せんとするや、

黒雲俄かに湧き驟雨来る。御霊の降下せられしや

然るに井上昭義(奈良空三二分隊−高知・福岡県立築上中学)が、同期・同窓であった上西徳英少尉の遺書を

朗読せんとするや、暗雲掻き消え陽光燦々と慰霊祭場に満ち、英霊事の他ご満足であったものと感得したのは、

筆者のみならず、参会の皆様も同様であったものと拝察されました。

 

ご遺族代表玉串拝礼に 高橋和枝様(上西少尉の実姉)

続いて、各代表の玉串拝礼では、ご遺族代表として、上西徳英少尉の実のお姉さまの高橋和枝様(福岡県行橋市)が、

高齢にも関わらず遠路ご参拝の上、見事大役を果たされました。

八十年の過ぎし事ども、思い出、悲しき事、嬉しき事など一挙に去来し、万感胸に迫る思いをされたものと拝察いたします。

本当にご苦労様でした。

 

   

伊三六六潜出撃搭乗員遺影(前列左から二人目)       玉串拝礼 上西徳英少尉の実姉 高橋和枝様

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/03