海軍兵学校第七十三期 英霊譜( 艦船)
昭和19年 6月29日〜 9月17日
昭和19年 6月29日
巡洋艦「筑摩」 呉ドック 殉職
新野 幸雄
昭和19年 7月 7日
駆逐艦「玉波」、シンガポール・マニラ間の旭東丸護衛の任務中、マニラ湾西方にて米潜Mingoの雷撃により沈没
川口 武男
昭和19年 8月 7日
巡洋艦「長良」、九州西方・天草灘にて米潜Croakerの雷撃により沈没
清水 澄
伊藤 精之進
沈没後、近くを泳いでいる戦友と声を掛け合ったが、
「用事が有る」と言って艦の方向に泳いで行き、これが最後の姿となった
昭和19年 8月18日
航空母艦「大鷹」、ヒ71船団の護衛中、ルソン島北西海域にて米潜Rasherの雷撃により沈没
黒坂 時也
藤田 豊
平林 幹雄
巡洋艦「名取」、サマール島東方海域にて米潜Hardheadの雷撃により沈没
安藤 弘
「名取」沈没時にカッターに移乗したが、本艦に接触して海中に吸い込まれて戦死
福永 達郎
「名取」沈没後、僚艦の救助も無く数名と内火艇にて比島へ向けて漕走、
漂流二十日目に戦死
昭和19年 8月22日
海防艦「日振」、ルソン水域・バターン半島沖にて米潜Harderに雷撃され沈没
岩本 温
昭和19年 9月12日
巡洋艦「大井」、昭和19年 7月19日マニラ西方にて米潜水艦Flasherの雷撃を受け沈没
その沈没後「敷波」移乗
駆逐艦「敷波」、船団護衛中、南支那海・海南島東方にて米潜Growlerの雷撃により沈没
牧岡 滋香
実家が西本願寺派の寺院
帰省のたびに住職である祖父に出離往生の道を尋ねるを常とした
昭和19年3月の帰省時、毛筆で「至誠殉国、南無阿弥陀仏」の紙片を残した
渡邊 三郎
八木 信輝
沈み行く艦首に東を見つめて直立、
白い手袋で敬礼したまま艦と共に沈んでいった
遺詠
灯しびのチラホラ見ゆる陸影を おろがみまつる父母よ幸あれ
猛り男のいや猛だけに猛る日を 心に描き海の業練る
. 惜まるる時に散るこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
島田 陽一
ご尊父は九月初旬から一週間ほど、頭髪を剃って白い着物を着た息子の夢を見た
その後、自宅仏壇の抽斗から息子がしまったと見られる遺髪が出てきた
ご母堂ご詠歌
長さみな揃いしままに頭髪の すがすがしさを吾子は残せし
澤村 宏治 呉鎮守府付
巡洋艦「愛宕」乗組後
黄疸を発病、シンガポール101病院にて戦病死
昭和19年 9月17日
航空母艦「雲鷹」、船団護衛中、南支那海・東沙島南東海域にて米潜Bardの雷撃により沈没
石田 幸人
弥山登山の新記録保持者
棚田 清信
更新日:2007/02/14