回天特別攻撃隊 顕彰   出羽三山

 

月山

山形県東田川郡羽黒町

神潮特別攻撃隊 第二次世界大戦戦没者之英霊鎮魂碑(社殿右側)

菊池清吾「人間魚雷回天/昭和の若武者たち」より引用

碑文

御國の み楯となりて 散りゆきし 影なき花よ 咲け月山に

 

湯殿山

山形県東田川郡朝日村

湯殿山神社本宮

 

  

 

山形県回天会 憂国碑/錨地蔵尊

由来

大東亜戦争は国家と民族の総力を挙げた史上稀に見る大戦でありました。その末期日本全国から学生、

学徒をはじめ幾多の青少年が志願、参戦し国内のみならず、アジア各地の山野に海に空に転戦し、中には

特別攻撃隊として国家と同胞の安泰を祈念しながら、挺身散華されたのであります。その勇魂は船の安全

を保つ「錨」のように平和を支える礎となったのであります。

昭和54年雄々しい荒御霊を月山山頂「月読大神」のみもとに祀り、多くの戦没者御霊とともに鎮魂碑を建立、

毎年八月十五日、正午を期して鎮魂を行ってきました。戦後すでに五十有余年、平和になれた日本人の中

には戦争の惨禍も諸英霊の悲願も忘れ去り、道義は廃れ、明日の日本を憂うるものであり、他方地球上の

随所で戦火は絶えることなくつづき、世界平和の道、尚遠しの感があります。

私達は三百十万と云われる戦没者の御霊が湯殿山の御神湯に浄められ再び生まれ出、平和の御先導を

御勤めくださるよう、御霊代として神潮特別攻撃隊の遺言集「その若き命惜しまず」、ウルシー島の珊瑚・沖

縄激戦地の御霊石を安置、「錨地蔵尊」を建立し、永遠の世界平和を祈念するもので

あります。

 

三好 朗「その若き命惜しまず/人間魚雷・神潮特別攻撃隊」

 

憂国碑/錨地蔵尊 余話

情報・写真提供:小野正実様(勝山 淳海軍中尉ご親族)

錨地蔵尊に白百合移植

広島で戦時中軍需工場で働いた学徒動員の女学生が送ってくれました。その昔工場を訪れた

若い士官を出撃隊員と察し、その崇高な姿に心を打たれ、五人の友人と鉢巻を贈ろうと決意、

小指の血をしぼり、「日の丸」に寄せ書きをして隊に送りました。

機密保持のため焼却されたか知るよしもないまま五六年がすぎました。鉢巻をいただき出撃し

た人は多聞隊長勝山 淳中尉である。イ53潜水艦の勝山中尉が熾烈な敵攻撃のなか見事敵

駆逐艦を撃沈、米国の証言と一致最後の模様が昭和六三年に明らかになりました。同戦闘で

山形県戸沢村出身の荒川正弘一飛曹も輸送船団に突っ込み散華しています。

この白百合が八月半ばに清純な花を開き三百十万といわれる御霊を安んじてくれるものと信

じます。

合掌

憂国碑錨地蔵奉賛会

    

     荒川正弘海軍少尉               荘内日報/平成9年2月12日

 

回天特攻隊

更新日:2006/08/15