津軽海峡防衛

 

大畑地区

青森県下北郡風間浦村

大間鉄道(軍用鉄道)軌道跡

大間鉄道

当初、大間に設置された海軍要塞の強化工事に伴う資材運搬用として、下北駅(むつ市)から

大間までを結ぶ軍用鉄道として計画された。

後に青函連絡船の空襲被害を想定して、津軽海峡で最も幅の狭い大間〜戸井間が代替航路と

して計画され、これに接続する路線として建設されることになった。

昭和12年に工事が開始され14年に大畑線として下北〜大畑間が開通、大畑以北も工事が進

められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみと

なったが、昭和18年に資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置された。

 

 

  

大間鉄道(軍用鉄道)軌道跡

 

   

大間鉄道(軍用鉄道)軌道跡

 

  

大間鉄道(軍用鉄道)軌道跡

 

甲崎

青森県下北郡風間浦村

震洋格納壕

 

桑畑地区

青森県下北郡風間浦村

海軍少尉楠氏殉職之地碑

碑文

勇士に捧ぐ

雲濱旭日津軽海萬雷星翼不知火 紅蓮船影之紅水楠香永久北辺勇

防衛衛所

風間浦村桑畑の高台には、津軽海峡の敵潜水艦監視を目的とした水中聴音作戦の任に当たる

海軍防衛衛所が置かれていた。

昭和20年 7月14日、地元漁船「幸丸」が米軍艦載機に襲撃され炎上。衛所所長・楠少尉は漁

協に船の出動を要請し救助に向かうが、再び来襲した米軍機の銃撃で地元の青年が死亡した。

翌日、民間人を巻き込んだ責任を感じた楠少尉は、一発の銃声を残してその生涯を閉じた。

 

  

水中聴音機の基礎                                   防衛衛所遺構

 

  

防衛衛所遺構

 

大間崎

青森県下北郡大間町

日本海軍特務艦豊国丸戦死者忠霊碑

碑文

昭和二十年七月十四日 午後二時三十六分 米軍艦載機と交戦し 激闘のすえ乗員百三十五名の勇士

艦と共にこの海に眠る

英霊に捧ぐ

海を征き 海に散りたる つわものゝ 御霊よ永遠にあらかにあれ

昭和五十二年七月十四日  豊国丸遺族会 戦友会 第四監視艇隊関係者 建立

特務艦豊国丸

漁船「幸丸」が襲撃された同じ7月14日、商船を改造した特務艦「豊国丸」は、米軍艦載機の執拗

な襲撃を受け大間崎の北西約3kmで沈没。乗組員147人中135人が戦死。船は水深160mの

海底に今も沈んでいるという。

 

  

日本海軍特務艦豊国丸戦死者忠霊碑                        こゝ本州最北端の地     .

 

津軽海峡 大間崎灯台  対岸の山並みは北海道

 

本土決戦

更新日:2009/11/01