抑留者引揚 仙 崎

 

仙崎港は一般には余り知られていない港であったが、水深が深く一万トン級船舶50隻が碇泊

できる天然の良港である。引揚に当っては朝鮮人の出港基地として異色をはなち、この送り出

しには昭和21年7月まで朝鮮人組織の「朝鮮人救護会」が当った。

 

引揚者の受入人数  413,961名(釜山・コロ島・上海・塘沽から)

朝鮮人の送出人数  339,548名

 

仙崎港

山口県長門市

  

海外引揚げ上陸跡地

説明板

昭和二十年八月十五日、太平洋戦争が終結し、海外にいた人々を帰国させるため、引揚港と

して博多、舞鶴などとともに仙崎港が選ばれ、引揚船には興安丸などが使用されました。

翌月の九月二日、第一次の引揚者七千人が仙崎港に上陸し、仙崎地区の寺や学校が引揚援

護の事務所や救護所、宿泊所に当てられ、臨時のバラック住宅も建てられましたが対応しきれ

ず、民家も多くの引揚者が宿泊しました。

昭和二十一年末、仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約四十一万人、

ここから朝鮮に帰った人々が約三十四万人、大混乱の一年余りでした。

平成七年九月、引揚五〇周年の記念行事の際には、全国からたくさんの引揚者や家族の皆

さんをこの地にお迎えしました。

長門市 商工観光課

 

海外引揚げ上陸跡地

 

抑留者引揚

更新日:2009/07/19