ビルマ顕彰

 

栃木縣護國神社

栃木県宇都宮市

弓三十三師団 山砲兵第三十三連隊之碑

碑文

山砲兵第三十三連隊は弓三十三師団の師団砲兵として 昭和十四年仙台及び高田において

東北各県、新潟県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県の出身者をもって編成され中国江西省

に出征 その後北関東及び長野県出身者を主とするよう変更され 揚子江南及び黄河北方の

大小の作戦に参加 昭和十八年暮から終戦までタイ国上陸後ビルマ進攻作戦、インパール作

戦、イラワジ会戦等の苛烈な作戦に参加 輝かしい弓師団の戦闘に貢献しました この間には

一八九六名の戦友が尊い生命を捧げた事は痛恨の極みであります ここに故友の遺烈を後世

に伝える為この碑を建立します

 

山砲兵第三十三連隊第四中隊 英霊顕彰碑

碑文

戦友の霊に

国破れて山河あり 先の大戦が終結し五十年の星霜は緑の大地は蘇らせることはできたが 

異郷に眠る御英霊への思いは愈々つのるばかりである 時の流れとともに戦争の悪夢は次第

に風化されたとは言え 戦争体験者にとっては脳裏に焼き付いた心の痛みは永遠に消えること

はない

懐古すれば 長い歴史と伝統を誇る我が国は、千古の昔から瑞穂の国を標榜する住みよい国

である 然るに昭和の時代に至るや俄かに世界の風雲急を告げ 世界第二次大戦が勃発する

ところとなり 米英を始めとする諸国連合は我が国に経済封鎖の包囲網を廻らし強圧したるも

大和民族は断じてこれに屈せず 国家の存亡を賭けて総決起し 万止むなく大東亜戦争開戦

の悲運となる

この時代に生を受けた我等青年は 青春の全てを捧げ国難に立ち向かうべく 従容として戦地

に赴き 幾多の戦線に従軍する

かくして緒戦を飾ることはできたが 凄惨苛烈な死闘に国力の差を乗り越え幾百万の同胞は 

尊くも犠牲という人類最悪の悲劇を蒙り終戦を迎える結果となる

思えば今なお戦友の多くは 中国の広野に万里異郷のビルマの地で そして白骨街道インパ

ールの果てに無念の涙を流し 当地の守護神と化して山野に眠っている

九死に一生を得た私共は 祖国再建と平和国家実現に最善を尽くすことが 亡き戦友への供

養であろうと確信し その道を歩み続ける

今や日本は苦難の道を乗り越え 戦争を放棄し 自由と平等の下 教育文化は言うに及ばず

経済大国として世界に誇示する迄に至る これぞまさしく悠久の大義に殉じられ 平和の礎と

なられた御英霊の賜物である

この時に及んで中隊戦没勇士の御尊名を深く刻み ここに顕彰の碑を建立し その偉業を声

大にして子々孫々に伝えんことを我等一同は誓いするものである

 

慰霊塔

 

妙蔵寺

静岡県賀茂郡土肥町

  

パゴダ慰霊塔

由来

第二次世界大戦で散華していった英霊を祀る。住職が巡礼したビルマ各地の戦跡やサイパン、沖縄など、

太平洋戦域各地で集めた遺品が多く祀られている。

 

  

パゴダ慰霊塔 内陣

 

  

住職が巡礼したビルマ各地の戦跡やサイパン、沖縄など、太平洋戦域各地で集めた遺品

 

観音寺

愛知県春日井市

ビルマの塔

碑文

パコタのくに 遥かなるくに 殉國の若者あまた散る そこはビルマ

平和な日々に ひたすら祈る 安らかな眠りと この塔にゆかりのある人の幸を

 

愛知縣護國神社

愛知県名古屋市中区

心の塔

碑文

ビルマでの長い戦いの想いでの中で懐かしく心に浮かぶのは大小様々のパコダであり信仰篤い人々

の温かさである

私達は其の善意への感謝を篭めてパコダに模した塔を建立し 遥かアラカンの密林に或いはビルマ

の山野に寂しく眠るすべての戦友の御霊を謹んで合祀したのである

至誠殉国の英霊の念いを忘れず 酸鼻を極めた戦争の体験者として 又その遺族として斯かる過ち

の繰り返されない様 大慈大悲の御仏の心に立ち帰らんことを只管に念じ 茲に心の塔と名付け平

和の一指標たらんとする所以のものである

 

京都霊山護國神社

京都府京都市東山区

  

歩兵第百二十八連隊顕彰之碑

碑文

ビルマに散華した戦友よ安らかに

ここに生存せる戦友が不滅の偉勲を偲び私立達のビルマ戦記を綴り 2953柱の英霊名簿と共に碑に

鎮めて永遠にその戦歴を留む      安第53師団歩兵第128連隊

 

野砲兵第五十三連隊 星光萬年

碑文

野砲兵第五十三連隊は昭和十八年十二月 伏見駐屯地を出発インパール作戦酣なるビルマ戦線に

急派され 爾後の各作戦に参加し赫々たる戦歴を記したるも その間一千余名の戦友と砲門馬匹の

殆どを喪う 今茲に生存者相集い碑を建立し等しく勇戦敢闘したる往時を回顧し 若くして護國の神と

なれる戦友の冥福を祈ると共に諸霊の偉勲を称え連隊の武勲を永久に顕彰するものなり

 

奈良縣護國神社

奈良県奈良市

ビルマの塔

碑文

第二次世界大戦のビルマ戦場において 祖國の為に尊い生命を捧げられた兵士の御霊をまつる

ゆかりの塔

 

成福院 摩尼宝塔

和歌山県伊都郡高野町

           

摩尼宝塔

建立趣意

霊峰高野の懐に抱かれるように聳える摩荷宝塔は、第二次世界大戦のビルマ(現国名はミャンマー)

作戦で、再び祖国の土を踏む事も無く異国の山野に眠る戦没者の霊を慰めるために建立されたもの

です。

ビルマの戦いは苦しく悲惨なものでした。三十万の日本軍が戦い二十万近い将兵がたおれました。

敵も死にビルマ人も戦いの犠牲となりました。

敵も味方も祖国のために戦い、数多くの悲しみを残して終わった戦争をいつまでも語り、忘れないた

めに写真や遺品を展示し、戦没したすべての人々の鎮魂と共に世界恒久平和を祈る摩尼宝塔でもあ

ります。

平和を愛する多くの人たちがお詣りし、毎年七月の第三日曜日にご遺族、戦友により、盛大な大法要

が行われ、ご冥福と世界平和をお祈りしています。

 

 

 

 

戦没者を顕彰する揮毫や写真の数々

 

 

戦地から収集された遺品

 

高野山奥の院

和歌山県伊都郡高野町

ビルマ戦没者慰霊碑

碑文

先の第二次世界大戦では ビルマ方面の戦場に於いて十八万余の生命が失われ その遺体の多くは

心ならずも戦野に取り残された。これらの遺骨を収めてその霊を慰め且つ人類の叡智に背く戦争を永

遠に抑止する事は生き残った我等とその子孫の使命であると信ずる。

夙に前官大僧正上田天端師は、戦没者慰霊のため戦後十三年の歳月を費やして高野山に摩尼宝塔を

建立し 毎朝英霊の護摩供養を祓修された。

昭和三十一年には宗教界を代表してビルマ国への遺骨収集団に参加され、同三十四年その御分骨の

下付を受けられた。更にその御分骨の永代奉安のため 納骨塔建立を発願されたが志し半ばにして同

四十九年八月遷化されたことは真に痛恨の極みである。

昭和五十年より同五十三年の間、九度に亘り日本政府派遣遺骨収集団がビルマ、インド、タイの各地へ

派遣され、収集された御分骨が摩尼宝塔に合祀された。茲に於いて当奉賛会は 故上田天端大僧正の

納骨塔建立の御意志を継承された仲下端法師の悲願に応え、関係遺族 戦友会及び当時の在ビルマ

民間団体 その他広く一般に呼びかけて有志の寄進を仰ぎ 戦争犠牲者を慰霊すると共に 世界の平和

を強く祈念し 此処にビルマのパコダ形式の納骨塔を建立した次第である

 

佐世保海軍墓地

長崎県佐世保市

ビルマ方面海軍部隊戦没者慰霊碑

碑文

大東亜戦争中 昭和十八年より昭和二十年の間 広大なビルマ戦域或はアンダマン海域において祖国の

為に勇敢に戦い そして散って行った河野 康・深見盛雄両少将以下 千二百有余名のビルマ方面海軍

部隊戦没者の霊を慰め あわせて其の後物故された戦友諸士の御冥福を祈るとともに 生死を共にした

戦友諸兄の御多幸を信じ 日本国とビルマ国との親善のきずなにならんことを祈念してこの塔を建てる

 

亜細亜独立

更新日:2004/03/20