弾除け観音
神奈川県綾瀬市の報恩寺の二十七世太嶽洞源大和尚は幼少の頃から観音信仰が篤く、御観音さまに
命を助けて頂いたと感じた事から「おたすけ観音」と命名。200体余の観音石仏を刻んで境内に安置し、
三十三ヶ所の巡礼コースに仕立てた。
日中戦争の開戦とともに「おたすけ観音」「弾除け観音」として信仰を集め、多数の出征兵士の家族等が
参拝に訪れ、神奈川県下はもとより遠く東京・千葉・埼玉・群馬・新潟方面からも参拝者もおり、盛時には
参拝者が駅から列をなしたという。
昭和18.年に海軍厚木航空基地が建設され航空隊が設置されると、境内は連日数百の兵士で埋まり、
多い日には1,000人を超えたといわれている。これらの参拝者に洞源和尚は「弾除け観音」と書かれ
た自作の観音画を配った。
しかし本土決戦や一億玉砕が叫ばれる様になった大東亜戦争期の末期には、国策に反する利敵行為
として軍や当局に警戒された。
終戦後にはGHQの将校,兵士も報恩寺を訪れ、洞源の法話に耳を傾けたという。
報恩寺
神奈川県綾瀬市
弾除け観音
平和観音
石碑
碑文
みめくにの ふかきおたすけ かんぜおん 大悲の恩に 報いまつらん
境内の観音石仏
境内の観音石仏
境内の観音石仏
境内の観音石仏
更新日:2013/12/23