神州不滅特攻隊

 

日ソ不可侵条約を一方的に破棄して参戦したソ連は、日本領土への進駐を開始しソ満国境を越え南下

しつつあった。当時の南満州には第五練習飛行隊第一教育隊大虎山分屯隊が駐屯していた。

昭和20年 8月19日、大虎山飛行場から九七戦11機が進路を北へ向けて飛び立ち、ソ連の戦車群が

終結している赤峰付近を目指した。

搭乗員はいずれも多くの特攻隊員を育てた教官達で、送り出した教え子の後を追ったのかも知れない。

この内、谷藤徹夫陸軍少尉機には新妻が、大倉 巌陸軍少尉機には親戚の女性が同乗していたという。

谷藤徹夫陸軍少尉と朝子夫人

 

世田谷観音

東京都世田谷区

神州不滅特別攻撃隊之碑

碑文

第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日祖国の敗戦という結末で終末を遂げたのであるが、終戦後の

八月十九日午後二時、当時満州派遣第六七五部隊に所属した今田均少尉以下十名の青年将校が、国

敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ、と又大切な武器である飛行機をソ連軍

に引渡すのを潔しとせず、谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて、前日に二宮准尉の偵察し

た赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に向けて、大虎山飛行場を発進前記戦車群に体当り全員自爆を遂

げたもので、その自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑

を建立し、英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり

 

八月十五日

更新日:2002/10/20