禁演落語

 

禁演落語五十三種

戦時中の昭和16年10月30日、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目が時局柄にふさわしくないと

見なされて自粛対象となった。昭和21年 9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。

明烏

粟餅

磯の鮑

居残り左平次

お茶汲み

お見立て

おはらい

親子茶屋

首ったけ

郭大学

五人廻し

子別れ

権助提灯

三助の遊び

三人片輪

三人息子

三枚起請

品川心中

高 尾

辰巳の辻占

付き馬

突き落とし

搗屋無間

つるつる

とんちき

二階ぞめき

錦の袈裟

にせ金

白銅の女郎買い

ひねりや

文違い

坊主の遊び

万歳の遊び

木乃伊取り

山崎屋

よかちょろ

六尺棒

一つ穴

星野屋

悋気の独楽

城木屋

引っ越しの夢

包 丁

氏子中

紙入れ

駒 長

葛籠の間男

蛙茶番

疝気の虫

不動坊

宮戸川

目 薬

後生鰻

 

 

 


自粛禁演落語二十七種

戦後にも軍国主義的・暴力的・荒唐無稽にすぎるなどと見なされた27演目が、連合国軍最高司令官

総司令部民間情報部の検閲機関の指示に応じる形で、昭和22年 5月30日、落語協会と日本藝術

協会の連名で自粛対象となった昭和28年の占領体制終了によって自然解除となった。

 

本法寺

東京都台東区

はなし塚

碑文

昨秋九月東京落語家全員は國家新體制に即應し 五十三種の落語禁演を自粛協定して職域奉公の實を

擧げたり

乃是を記念し併せて葬られたる名作を弔ひ尚古今小咄等過去文藝を供養する為 詳細記録類を埋めて

建碑し以て菩提に資すと爾云

南無妙法蓮華経

紀元二六〇一 昭和十六辛巳年花四月

講談落語協會落語部員一同 東京色物演藝席主一同 小咄を作る會々員有志一同

 

教育委員会の説明版

この塚が建立された昭和十六年十月、当時国は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり各種芸能団体は、

演題種目について自粛を強いられていた。落語界では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局

にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺等五十三種を選び、禁演落語として発表、自粛の

姿勢を示した。

この中には江戸文芸の名作といわれた『明烏』『五人廻し』『木乃伊取(みいらとり)』等を含み、高座から

聴けなくなった。

「はなし塚」は、これら名作と落語界先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談

家一同、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。

戦後の昭和二十一年九月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、

戦時中の台本などが納められた。

平成十六年三月 台東区教育委員会

 

  

落語家や演芸場などの名前が刻まれた石塀

 

落語家の名前が刻まれた石塀

 

演芸場の名前が刻まれた石塀

 

閑話休題

更新日:2008/09/19