高野山奥の院

和歌山県伊都郡高野町

 

昭和殉難者法務死追悼碑

建立誌

第二次世界大戦終結後、連合軍によって行われた戦争裁判は、勝者連合軍が札無く、敗者日本を裁く、歴史上

世界に例を見ない過酷で報復的裁判であった。

ましてや故なく戦争犯罪人として処刑された将兵は、戦闘下における帝國軍人として職務上の責任又は受命行

為を犯罪として処刑されている。

戦後半世紀を経た今日、我が国は世界の経済大国として大きな役割を果たしているが、移りゆく歳月は、人々に

戦争の記憶を風化させつつある。ましてや戦犯として汚名を着せられて無念極まりない最後を遂げられた人々の

ことを知る人も少なく、追悼菩提を行うこともない。

前橋陸軍予備士官学校八期生築野政次氏は、フィリピン最南端、ミンダナオ島の深いジャングルの戦闘で生き残

り、終戦後、レイテ島、ルソン島に護送され、カンルバン収容所において同方面最高司令官山下奉文大将ほか、

処刑のため連行されるのを、深夜ひそかに断腸の思いで見送り、同じ幕舎に収容されていた同窓萩野舜平氏が

上官の身代わりに銃殺刑に処せられことを知り、聖地高野山奥の院に不幸にして死刑去れた尊い同胞1068柱

を昭和殉難者として、その菩提を弔うことを宿願としてきた。

刑死された人々の無念を空無にすることなく、再びかかる悲劇が繰り返されることなきよう祈りつつ、有縁の同志

あい集い、ここに昭和殉難者法務死追悼碑を建立した。心から諸精霊の冥福と永久の平和を祈るものである。

 

昭和殉難者法務死追悼碑

 

昭和殉難者法務死追悼碑

 

軍事裁判

更新日:2009/07/07