BC級史蹟

 

靖國神社

東京都千代田区

国家安泰 神霊守護 憲兵之碑

碑誌

国破れて山河あり 靖国の神域昔ながらの荘厳を失わず国民の尊崇衰えぬは神州不滅の証左

というべきである

憲兵の任務は監軍護法に存したが 大東亜戦争中は更に占領地の行政に 或は現地民族の

独立指導に至誠を尽くした 又不幸にして空爆の戦火靖国の神域を襲うや 挺身神殿を護持し

たのも憲兵であった

敗戦は不条理な多くの犠牲を我が軍に強いたが別けても憲兵に対して著しかった 終戦時戦死

又は獄死 自決により或は謂われなき罪に問われて非命に倒れた戦友数百名に及ぶ 実に痛

恨の極みである

願わくは憲魂死してなお靖国の聖域に留まり とこしえに二百五十万余の英霊の衛士たらんこ

とを

靖国神社創建百年の秋に当り 緑の神域にささやかな碑を建て 殉国烈士の霊に捧ぐと共に

憲兵昔日の微衷を吐露して後世の評価に委ねるものである

 

池上妙見堂

東京都大田区

シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑

碑文

第二次世界大戦後、シンガポール地区においては、146名の旧軍人軍属が連合軍の軍事裁判により

戦争犯罪者として処刑されたが、その大部分は誤った戦争の犠牲者としてこのような悲運に哭かねば

ならなかった人々であった。しかもこの方々は祖国から見放されたまま、不自然な「死」を前にして苦悩

に苦悩を重ね、最後には「己の死が祖国再建の人柱となるのであれば、又世界人類の平和にもつなが

ればよし」と絶叫して散華したのである

これら殉難者の往時の心情を思うとき、万斛の涙また新たなるものがあり、かかる悲惨時が決して再

びあってはならないと誓うのである。今ここ池上の寂かなる杜をこの方々の安らかなる眠りの場と定め

碑を建て、以って所霊の冥福を祈る次第である

 

本願寺岐阜別院

岐阜県岐阜市

  

大東亜戦岐阜県下 戦裁十八烈士慰霊碑

説明文

余り世間には知られていませんが大東亜戦争での気の毒な戦裁烈士が岐阜県下だけで十八名あります。

この碑の裏には遺族各々の手で氏名、年令を書かれたものを寄せて彫刻してあります。岐阜県下で唯一

此処に一ヶ所あるのみです。

碑文

此の氏名は吾々遺族で老いたる母或いは妻子の手で寄せ書したのです。

 

比島観音

愛知県幡豆郡幡豆町

一七四会慰霊碑

碑文

戦後比島収容所にて斃れし英霊に捧ぐ

いのちありて 山をくだれる 戦友なし あわれ幾子の 白き墓標は

 

三ヶ根山

愛知県幡豆郡幡豆町

  

殉国百四十五烈士之碑

碑文

第二次世界大戦の終結後 戦勝各国は戦争犯罪法を制定し これに基づき 多数の敗戦国人を

戦争犯罪容疑者として強制逮捕し これを裁判に付した そしてその裁判は まさに奢れる勝者が

敗者を裁く 正義人道の名に隠れた復讐裁判であった この戦争裁判で有罪になった人たちは  

敗戦の悪運を嘆き 家族の待つ故国への帰還の夢も空しく 無実の罪人として異国の獄舎に幽閉

され あるいは忍堪の重労働に善禍の歳月を過ごし 或は刑場の露と消え 国に殉じたのである

われわれは わが国今日の平和と繁栄とが これらの人たちの献身犠牲に負うところ まことに大

であることを信じ ここに心から敬仰の誠を捧げ深謝するものである

この碑は 南太平洋戦域のオーストラリア及びオランダ両国管轄の軍事法廷において極刑判決

をうけ ラバウル マヌス島 モロタイ島で処刑された百四十五烈士の殉国の偉業を顕彰し慰霊

するために 建立するものである

 

霊山観音

京都府京都市東山区

韓国人犠牲者慰霊塔

大東亜戦争中 韓国人で我陸海軍に応召従軍したもの二十万余名 そのうち八千八百六十一名が戦死 

連合国軍事裁判に伏せられて刑死したもの二十三名 その他犠牲者も多数に及んでいる

これらの人々はかつては我らの同胞としてともに我国のために奉仕し身命をささげられたのである 韓国

はいまや独立国 我国としてこれらの人々の霊を祭ることは許されない しかし心ある日本国民は国民感

情がこれを許さない そしてこの英霊を慰めるためにこの塔をつくり 永遠に祈念し祭祀をつづけることに

なった

いわば国民がささげた靖国の塔である

 

吉備津神社

岡山県岡山市

岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰碑

碑文

ますらおの尊き生命 積み重ねつみかさね護り来たりし美しき祖国に 吾等は今奇蹟の平和と自由

を享受している 憶うに歴史は正確を期すべきである 然るに戦後の世相は混沌として現在既に正確

なるもの乏しく 今にして改めずんばその経緯を過ち伝へられん 人類の歴史は平和を旗印に揚げ

乍ら 惨烈な戦争に依って治乱興亡を繰返し留まるところを知らない 過ぐる大東亜戦争処理に際し

連合国は勝者専断の裁判を行い 吾等を謂われなき罪に陥れ 極寒肌を裂く牢獄に 炎暑灼熱の

獄舎に監禁 心身破潰の極限において猶 血族への愛惜を秘し祖国の再興と永久平和を叫びつつ

従容として死の断罪を受け 竟に父祖の国土を踏まざりし赤誠憂国の士の境地を憶うとき 平和の生

贄としての価値が忘却される事を憂いて詠嘆己まず 茲に改めて戦禍の再来を避け祖国の興隆と

萬邦の平和を希い同憂の悲願を結集して 岡山県関係殉国烈士の遺徳を偲び 碑を奉建して将来

史実の探究と公正なる評価に委ねんとするものである

 

山口縣護國神社

山口県山口市

写真提供:帰山 則之 様

殉国烈士之碑

碑文

(前略) この碑は、こうした殉国烈士のうち、本県出身三十三柱の御霊の永遠に鎮まりますことをお祈り

するとともに、その遺徳を顕彰して後世に永く伝えるため、山口県世話人会が中心となって、昭和三十二

年十一月十日、広く県民の暖かい御協力と浄財をもって建立されたものであります。

 

愛媛縣護國神社

愛媛県松山市

殉国二十二烈士之碑

碑文

大東亜戦争後の戦争裁判は世界史に汚辱の一章を加え  犠牲者の遺族に消える日のない痛恨を印した

愛媛ゆかりの二十二烈士  亦大節を貫き恩讐を超え祖国の弥栄を念じ従容として平和の人柱となった

今や伝位して裁きの神の座にます尊霊たちよ みそなわせ  敗戦祖国は世界驚異の発展をとげアジアの

諸民族は相次いで独立の宿願を成就しました  二十一世紀は日本の世紀

在天の英霊  とこしえに祖国を守りたまえ

 

軍事裁判

更新日:2005/05/18