佐  倉

 

佐倉霊園

千葉県佐倉市

 

忠霊塔 平和之礎

説明

ここには過去の戦争による戦没者の遺骨・遺品が安置され、一万有余の御霊が

祀られております。

印旛郡市町村・八千代市遺族会

 

忠霊塔 平和之礎

 

傷痍軍人 顕彰碑

 

麻賀多神社

千葉県佐倉市

左から

義烈之碑 …佐倉藩士の戊辰之役から日清戦争までの戦没者慰霊碑

忠勇之碑 …佐倉藩士の日露戦争戦没者慰霊碑        .

二士之碑 …幕府軍についた二名の戦没者慰霊碑(佐倉藩は官軍)

 

佐倉城址

千葉県佐倉市

歩兵第五十七連隊 佐倉兵営跡

 

皇太子殿下御立之所  …皇太子殿下は後の昭和天皇

 

十四階段 …高所からの飛び降り訓練に使用

 

便所跡

 

明治・大正・昭和・平成の四世に亘る佐倉醫のこころ 茲に遺す 仁の心を腎に

病院・療養所の変遷

明治 7年 5月 東京鎮台佐倉営所病院として創設される           .

明治20年11月 佐倉衛戍病院となる                    .

昭和11年11月 佐倉陸軍病院となる                    .

昭和20年 8月 軍事保護院佐倉病院となる                 .

昭和20年12月 国立佐倉病院となる                    .

昭和25年 4月 国立療養所佐倉病院となる                 .

昭和28年 4月 国立佐倉療養所となる                   .

昭和52年 4月 腎不全対策の基幹施設 腎移植センターとして機能付与される 

昭和54年 4月 国立佐倉病院となる、江原台に移転する           .

平成16年 3月 国立病院・療養所再編計画により国立千葉東病院に経営統合される

 

妙典寺

千葉県松戸市

歩兵第五十七連隊 比島戦没者慰霊塔

経緯

当寺のご住職が歩兵第五十七連隊のご出身であることから、佐倉市から離れた

この地に慰霊碑が建てられている。

碑文

この塔は大東亜戦争の天王山と言われたレイテ決戦に参加して戦死された佐倉、歩兵第五十七連隊勇士の

英霊を慰めるため、生存戦友、遺族等有志により建立されたものである。房総健児を中核とする連隊は昭和

11年渡満以来、孫呉の警備に当たっていたが、十九年秋、風雲急を告げる比島に向かい、十一月一日

レイテ島に上陸、明治天皇より授けられた軍旗を奉じて要点リモン峠を守ること四十日、米軍二個師団を相手

に勇戦奮闘、約二千三百名の戦友が散華された。今や昭和の世も終り、毎年の如くリモン峠を訪ねた生存者

も老境に入るため、終戦四十周年を期し、孫呉時代の戦友、天笠良影師が住職をつとめる当妙典寺の地に、

宮内連隊長の分骨及英霊の遺品を納めて、慰霊塔を建立するものである。

茲に謹んで英霊の冥福を祈るとともに、住職ならびに檀家各位の御好意に対し深く謝意を表する次第である。

平成二年五月吉日  歩兵第五十七連隊宮内会

 

鎮魂の霊地

更新日:2012/05/04