鬼女のうた暦 12月 石川不二子
幾度も部屋に入りくる鬼やんま空中静止の彼と見つめあふ
鬼やんまは日本最大のとんぼで、美しい男(お)の子のように、精霊のようにも感じられるのだろう。とんぼは古くは秋津といい、『古事記』にもでており、秋津島は日本国又は大和国の称でもある。
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石川不二子は第1回『短歌研究』50首詠で21歳で推薦となったが、その時の特選が中城ふみ子であった。中城の激しい情念と対照的な、健康的で清新な作風としてデビュー。
農学部卒業後、仲間と開拓地の農場に入植、現在も荒荒しい自然の中から、農婦として詠いつづけているが、作風はのびやかである。
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学生時代の歌は
睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり
農場実習明日よりあるべく春の夜を軍手軍足買ひにいでたり
仲間と一緒とはいえ、開拓当初は厳しい生活であったろう。
荒れあれて雪積み夜もをさな児をかき抱きわがけものの眠り
のびあがり赤き罌栗咲く、身をせめて切なきことをわれは歌はぬ
眼の下に蜂のあつまる菊の花襁褓を干すとわれは立ちゐる
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農場ではたくさんの牛を飼ってきたが
放牧の牛堰く門をあけ放つここより三瓶山束ノ原開拓地
みな向うむきて尾を振る牝牛のむれ見おろしてさみし真昼真ひるま
見のかぎり花野が牧野にならむ日ぞやがてはわれも農の子の母
不二子でなければ詠えない歌がしんと人生に通撤している。
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でも、今は
それでもこれが私ですといふほかなし六十五歳いまのわたくし
だらしなく尾羽ひろげゐる雄鶏を男を憎むごとに憎む
「不美人」といふ銘柄のぽんかんを贈られて心落着かずゐる
いまにして若きに接し見ゆるもの艱難辛苦が邪魔をしてゐる
苦難を乗り越えてきたあとのユーモアが自在である。
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