タイトルのない夏
Trinity
両谷承

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十三


 このところキョウは、セックスについて考えることが多い。

 自分でも、情けない。しかし、どうしても頭から離れないのだ。こうしてCDを探していても、気が付くとミキのことを考えている。

 彼女と寝たいから、彼女が欲しい訳じゃない。寝れば、それで自分のものになったなんて、そんなつまらない考え方を持っているつもりもない。

 それでもどうしても、彼女と寝たい。一緒にベッドにはいることを同意してくれれば、そのことで自分はミキに男として認めて貰ったことになる、ような気がする。――もちろん、なんの筋も通っていない考え方だ。でもどうしても、そんな風に思えて仕方がない。

 女の子と寝るのは、好きだ。寝たいからと云うだけで女の子を口説いたことだって無かった訳じゃないし、それが何か間違ったことだとは思わない。でも、それとこれとは違うのだ。――確かに違うのだけど、どこがどう違っているのか分からないから混乱する。

「どうしたの。ぼおっとしてるよ」いきなり声を掛けられた。「欲しいの、見つかった?」

 振り返る。ベレーと、ショートブーツ。細っこいけれどそれなりにめりはりのあるプロポーションがうかがえる薄手のブラウスとジーンズ。透明な肌。

 今し方まで考えていたことは、十九歳の男としては決して恥ずかしい事じゃない。――そう思いこもうとしても、簡単にはいかない。

「あんたのことを考えてた」

 云うと、ミキはくすくす笑った。本当のことなのだけれど。キョウは棚からショスタコーヴィッチを一枚、引き抜いた。


「どこ、行こうか」

 レジで支払いを済ませて、待っているミキのところに戻る。どこと無く疲れた表情だ。とたんにキョウは何となく不安になる。

「喫茶店とか、どう?」

 黙っているミキに訊ねる。

「喫茶店、って?」

「うん」不安なまま、キョウは言葉を続けた。「どうしたの。体調でも、悪いの」

「ううん」

 ミキの表情は晴れない。何となくその理由は分かる気がしたが、そんなことは考えたくない。

「じゃさ。『スラム・ティルト』行こうか」

「そうだね」やっと少し、笑った。「ねえ、今日シンジ君が帰ってくるらしいよ。顔、出すかな」

 顔中の筋肉を総動員して、飛び出してきそうな感情を押さえ込む。クールに。

「さあね。おれはシンジじゃないから、わかんねえよ」

 無表情になってしまったらしい。こういう辺りで、カズに正直者呼ばわりされる訳だ。そのキョウの眼を覗き込んで、ミキが呟く。

「ごめんね」

「なにがさ」

 出来るだけ軽い声で云ったつもりなのに、響きが堅くなってしまう。

「ううん」ミキはついっ、と視線をそらす。「なんでもないよ。『スラム・ティルト』行こう」

「ああ」

 ミキが、先に立って歩き始める。こうやって後を歩いていけば、情けない表情を見られることはない。


 『スラム・ティルト』の前に、シンジのハーレイ・ダヴィッドソン・ロードスターは停まっていた。店のドアを開ける前に、ミキが振り返ってキョウの顔を見た。キョウは微笑んで見せた――つもりだったが、ミキにどう見えたのかは分からない。

 シンジはカウンターに座って、まだ昼の三時だと云うのにビールを飲んでいた。見慣れた年季の入ったヘルメットを傍らに置いて、サングラスを掛けたままの顔は髭が伸びっぱなしだ。にきびの跡が残る顔に、それが妙に似合っていない。

 キョウ達に気付いて、シンジは片手をあげた。

「よう。ご無沙汰」

「どこ行ってやがった、この野郎」

 云って、キョウはミキの方を盗み見る。ミキの顔には何も現れてないように思えるが、どちらにしろキョウには彼女の感情まで自分が正確に読みとれる気がしない。

「無事でよかった。お帰りなさい」

 云って、ミキはシンジの隣に座った。何気なさを装って、キョウはさらにその隣に座る。髭だらけの顔で、シンジはにまっと笑って見せた。キョウは煙草をくわえて、それから別に煙草なんか吸いたくないのだと云うことに気付いてパッケージにしまう。

「マスター、ワイルド・ターキー。ロックで」

 ぶっきらぼうに云うと、マスターがおやおや、とでも云いたそうにキョウの顔を覗き込んだ。なぜだかこのひとは、キョウ達のことならなんでも知っているような気がする。もっともキョウとシンジは、まだ中学校も卒業しないうちから見られ続けてはいるのだが。それでも、マスターは何も云わずにミキに顔を向けた。

「そちらのお嬢さんは、何にいたしましょうか」

「ううん。わたしも、ビール貰おうかな。こんなに暑いしさ」

 汗一つ書いているように見えないミキの口からこういう言葉がでると、キョウにとっては邪推の種になる。

 どうにも、分からない。シンジやカズには、こう云った気分になることはないのだろうか。自分だけが何か特殊だ、などとはどうにも思えない。誰かを好きになるのは、自然なことではないのか。それで苦しむのは、どこかおかしいのだろうか。

 ミキを挟んで、シンジと三人で並んで座っている。こんな状況で何となく気詰まりに感じているのは、キョウだけなのだろうか。そんな不公平なことがあっていいのか。それともこれは、キョウが何かに復讐でもされているとでも云うのか。――被害妄想すれすれの気分で、キョウはやっと気付いた。

「そういやマスター、カズのぼけ野郎は?」

「云われてみれば、いねえな」シンジも気付かなかったらしい。

「今日はまだ来てねえな」マスターが氷の固まりをぶっかきながら云う。「もうじきくんだろ」

「奴ぁバイトでしょ。随分時間にルーズな店だな」

 キョウが云うと、マスターはロックグラスに氷を放り込んでから顔を上げた。

「あいつはくびになった」

「へえ。何やらかしたんだい」

「あんまり云いたかないな。ミキちゃん、説明してあげて貰えるかい」

「わたしだっていやだよ。――あ、すいません」

 キョウの前にロックグラス、ミキの前にミケロブの缶とピルスナーグラスが置かれる。シンジが缶を持ち上げて、たっぷりと泡を立てながら無言でミキのグラスに注いだ。ミキは意味ありげにシンジを見ている。シンジもミキを見ているのか、それともキョウの方を向いているのかは濃い緑のレンズのせいで分からない。

 一杯になったグラスを手にするとミキはまずシンジの、それからキョウのグラスに軽くぶつけてから口に運んだ。

「何に、乾杯なんだい」

 云うとミキはキョウを見た。

「やっぱり、再会に、でしょ」

 それから、シンジに向き直る。シンジは頬だけで笑った。キョウの頭に、血が逆流した。ワイルド・ターキーを流し込む。バーボンは食道を灼いて、頭蓋骨の中を沸騰させる。

「シンジ。久しぶりだな」

「ああ。二週間ぶり、くらいか」

 もう一口、バーボンを呑んだ。

「久しぶりに、勝負と行こうぜ」

 サングラスの向こうを見据える。シンジは先ほどと同じ笑い方をして、それからサングラスを外した。穏やかな、それでいて力強い視線。

「悪くないね。――何、賭けるんだ」

 この言葉で、キョウには分かった。シンジは、すべてを理解している。

「勝手に、賭けちまっていいのかどうかわかんねえけどな」

 そう云って、ミキを見た。ミキはきょとんとしている。無理もない。

「なあキョウ」シンジが落ちついた声で、「これは、おれとおまえの問題なんだよな」

「そうかもしれないけどな」

「そうじゃないかもしれない、ってのか。気乗りしねえな、それじゃ」

「ごたごたぬかすな」

 思いの外に、きつい声になってしまう。照れたような表情で、シンジはキョウを見た。まだ事態をよく呑み込めてないらしいミキが呆然と、キョウとシンジを見比べている。

「おまえが納得したいだけなんだろ。つまらねえよ」

「うるせえつってんだよ。やんのか、やんねえのか」

 自分の語気が荒くなればなるほど、キョウにははっきりと自覚されてくる。――キョウは、シンジに懇願している。みじめだとか何とか、もうそんな場合ではない。

 キョウは立ち上がった。シンジも、ゆらりとストゥールから降りる。尻の財布を探るシンジを、ミキは呆然と見ているだけだ。

 連れだって、『エイリアン・スター』に向かう。コインを一枚ずつ放り込んで、今日はシンジと目を合わせた。どんなに馬鹿にされても、軽蔑されても文句の言えない状況なのに、シンジの目はゆるやかに微笑んでいる。

「なに、余裕こいてんだよ」

「必死になるようなことなのか」

「当たり前じゃねえかよ」

 意味なんか、きっとない。でも、挑戦せずにはいられない。

「なんだか西部劇かなんかみたいだな」

「ごたごた云うなってのに」スタート・ボタンを二回押す。ピンボール・マシーンが、キョウをあざ笑っているかのようなけたたましい音を立てる。――もちろん、キョウにだって分かっている。ここは西部のサルーンでもなければカレッジのクラブハウスでもない。だからって、どうすればいいって云うんだ?

「ねえ」

 背中越しに、ミキの声が聞こえる。

「ねえったら。なんだって云うのよ、ふたりとも」

 キョウは振り向かない。すべてを集中力と運動神経に還元することが出来るはずだ。

「分かってんだろ」シンジが言葉を返す。「あんたのことだよ」

「なによそれ」

「いいから、黙っててくれ」ミキの方を見ないようにしながら、キョウはカウンターに手を伸ばす。ロックグラスを手にして、一息で中身を空にした。

「おれが先でいいな、シンジ」

「どうなとやれよ」

 シンジは投げ遣りに云う。キョウはプランジャーを引いた。集中力だ。


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