Tales from "Blue Cat" Episode #3

Blue Blue Guitar

両谷承


 旦那が、約束をすっぽかした。

 そもそもその夜のコンサートを観たがっていたのは旦那だったんだ。出演したのは僕のちょっとした顔見知りのグループで、リュートだのヴィオラ・ダ・ガンバだのをフィーチュアしてシンセサイザーやパーカッションでサポートするといったまるで二、三十年も昔のプログレッシヴ・ロック・バンドみたいな連中だ。僕は大仰なロックはあんまり得意じゃないのだけど、ちらっと旦那に話したところ彼がやたらと興味を示したもんだから僕はわざわざいい席を入手してやったんだった。ところが当の本人は開演時間を過ぎても来ないもんで、僕は多少腹を立てながら独りで二列目の真ん中に座る羽目になった。それでもコンサート自体は全盛期のイエスを思わせる独特のきらきらしさがあって考えていたよりもだいぶ楽しめたのだけれど、結局旦那はコンサートが終わるまで現れなかったので今度は心配になってきた。大体あのカルマン・ギアはいつ車輪が外れたりハンドルが取れたりしてもおかしくない代物だし、旦那本人にしたって過去に係わったことのあるどこかの国の秘密結社に狙われてる、なんて事があったって驚かないような奴だ。

 僕は一旦家に帰ると、少し厚手のジャケットに着換えて秋の匂いのしはじめた街を”青猫亭”へと向かった。


 窓から明かりが漏れている。呼び鈴を押しても返事がないので、鍵の掛かっていないドアを開けて僕は勝手に”青猫亭”に入った。明かりがともっているのはいつもの居間ではなく、寝室だ。僕は寝室のドアを叩いた。

「──承か」

 返事があった。かすれてはいるが、確かに旦那の声だ。

「そうだよ、よく分かったな。入るぜ」

「ああ」

 寝室の中では、旦那がサスペンダーを外した黒いスラックスにドレスシャツ、ゆるめた細いネクタイといった格好でベッドの上に転がっていた。

「どうしたんだよ」

「わからん。着換えて部屋を出ようとしたら身体が動かねえんだよ。コンサート、どうだった」

「面白かったよ。なんだ、夏風邪か」

「もう夏じゃねえよ。ともかく、俺は病気だ。病人には薬が必要だ」

「──分かったよ。何がほしい」

「ホット・バタード・ラムをつくってくれ」

 まあ、風邪なら効くかも知れない。少し気の毒なので、おとなしく僕は特効薬をつくってやることにした。わざとらしく咳込む旦那に背を向けて台所へ行こうとすると、ドアの横に見慣れない、ぼろぼろの細長いトランクが立て掛けてある。

「何だい、こりゃ」

「ああ、それか? 開けてみな」

 僕はトランクを床に寝かせて、留め金を外した。中に入っていたのは電気ギターだった。色あせたブルー・メタリックのフェンダー・ストラトキャスターで、メイプルのフィンガーボードは塗装がはげて黒ずんでいる。かなり古い、使い込まれたものらしい。何より奇妙なのは、普通に見掛けるものと違って左右が逆に造られていることだった。

「左利き用かい」

「そう。左利き用のフェンダー・ストラトキャスター、一九五五年製のオリジナル・モデルだ」

「何だって」

 いわゆるオールド・ギター、ヴィンテイジ・モデルっていうのは莫迦みたいな値段が付いているものだ。これだけ状態のいい五五年のストラトキャスターなんて、二、三百万で買える代物じゃない。しかもこんな珍しい色でその上左利き用となると、正直云ってどれだけプレミアが付くものか想像も出来ない。

「どうしたんだ、こんなもの」

「友人の形見でね。久々に引っ張り出してみたんだ」

「絃が逆に張ってあるぜ」

「前の持ち主が右利きだったからね。───なるほど、それで俺を家から出したくなかったんだな」

「何か因縁つきなのかい」

「───いいから、病人に薬を持ってきてくれ。話はそれからだ」


 とりあえず薬罐で湯を沸かす。ガラスのマグカップにラムを───ロンリコじゃあんまりなので、バカルディのホワイトを───注ぐ。砂糖を加えてから湯をぶち込み、バターとクローヴの実を落としてシナモン・スティックでかき混ぜる。昔から語り継がれる特効薬の出来上がりだ。予防になるかどうかは知らないけれどついでに自分のぶんもつくって、僕は寝室に戻った。旦那はベッドの上でかなり辛そうに上半身を起こすと、カップを受け取る。僕はベッドの横のストゥールに座って、彼の言葉を待った。


「高校生くらいの頃かな。仲間に、バンドやってる連中がいてさ。俺はギターの奴と、結構気の合う友人だった。いつもつるんでるって感じじゃなくて、趣味から性格からまるで違うんだけどたまに話すと思いがけない収穫が得られる、って関係でね。おかげでそいつのバンドでも、何度かヴォーカルをやらされたよ」

「ヴォーカル抜きのバンドだったのかい」

「いや、ちゃんといたよ。それもとびっきりのがね。女の子でさ、小柄でやせっぽちで、別に美人でも歌が上手い訳でもなかったんだけど、素敵なハスキー・ヴォイスの持ち主だった。それに時折、やたらとセクシィで魅力的な表情をするんだ。そうだな───ちょうどそのストラトキャスターにイメージがそっくりだったね。そいつはもともと、彼女のものだったんだ」

 ギターのフォルムが、女性の曲線をもとにしてるって話を聞いたことはある。確かにストラトキャスターから連想される女の子は、レス・ポールやテレキャスターほどふくよかな感じはしない。

「そんなヴォーカルがいるんなら、旦那の仕事なんてないじゃないか」

「そうでもないんだ。そのバンドはビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニー辺りをレパートリィにしててね」

「また、古いね。じゃ、その娘がジャニス・ジョプリンで───」

「───俺がサム・アンドリューって訳さ」云って、旦那はホット・バタード・ラムを口にする。「おい、いくらなんでも甘すぎないか」

「その方が栄養あるだろ」

「ものには加減ってもんが───まあいいや。その娘はギターなんか弾けやしないんだけど、ステージにギター下げて上がるのが好きだったんだな。そのギターだって回路がどこかいかれてて、滅多にまともな音なんて出やしなかった」

「その娘は、そいつをどこで手に入れたんだ」

「さあね。物置で埃かぶってたとか何とか云ってたな。右利きのギタリスト、ベーシストと一緒に左利きでギター構えて立ってる奴が居るとかなりステージ映えが代わってくる。別にビートルズを持ち出さなくても分かるだろ」

「まあね」僕は自分のカップの中身をちょっと飲んだ。僕のぶんは、ちょうど好みの味に仕上がっている。

「その娘に、また俺の友人のギター弾きがぞっこんでさ。よく、ギターを教えてやってた。あんまり成果は上がってなかったみたいだけどね。なかなか似合いだったよ。だけどそういった娘だから気が多くてね。もう一人、ベーシストもその娘にべた惚れだったから、男二人でしょっちゅう鞘当てさ。見てて面白かったぜ」

「相変わらず無責任だな」

「だってよ。どっちも結構いい男だし、わりと内気な俺の友人と比べてベーシストの方は派手な性格で正反対だし、ヴォーカル娘もどっちつかずの態度とるくせにやきのちやきだしさ」

「バンド内でそういう問題が起きると面倒だろ」

「まあ、連中は俺より年食ってたからね。レパートリィが古いのを別にすりゃいいバンドだったし、その辺は上手くやってたな。───でもね、ある夜ベーシストが自分の車にヴォーカルを乗っけてガード・レールに突っ込んじまった。ベーシストは即死、ヴォーカルもしばらくして死んだよ。俺の友人に、ストラトキャスターを残してね。───ところで、もう一杯貰えるかな」


 旦那は二杯目の風邪薬を啜ると、ふうっ、と息を吐いた。「今度のは上出来だよ。こうでなくちゃな」

「ねえ、本当は夏風邪なんかじゃなくて、アルコールで中枢神経がいっちまったんだろ」

「ほっとけよ、そうなりゃ本望だよ。大体───」

「いいから、話続けとくれ」

「分かってるって。───まあ、そのヴォーカル娘は最後には俺の友人を選んだ訳だけど、さすがにそいつも塞ぎ込んじまってね。元気づけるにはバンドを続けるのが一番だってんで残されたキーボードとドラムがベースを見付けて来て、俺が臨時のヴァーカルになってバンドを再開したんだ。俺の友人はなかなか元気にならなかったけど、ギター弾いてる間だけはいくらか気分も晴れるみたいでね」

「旦那が、マイク持ってステージに上がったのかよ」

 何だかあんまり似合いそうもない。せいぜいいって、ルー・リードの亜流ってところだ。

「いや、ライヴはやらなかった。スタジオに入って、ドゥービーズやオールマンス辺りの陽気なやつをプレイするくらいだった」薬が効いたのか、いくぶん楽になった様子で旦那は話し続ける。「しばらくすると、ドラムが新しいヴォーカルを見つけて来たんだ」

「女の子かい」

「そう。これがまた、前のヴォーカルの娘とは何から何まで対照的なやつでさ。あんまり大柄でもないんだけどくるくるっとしたトランジスタ・グラマーで、いつも明るくて、あんまりクレイジーなところもなくてさ。前の娘は良くも悪くも周りの人間の神経を尖らせる処があって、まあ俺なんかもそこに魅かれてたんだけど、新参加の娘は逆にどこかひとを和ませる感じがあってね。歌も上手いし」

「ふうん、いいじゃないか」

「まさにバンドの救世主だったよ。とかくぎすぎすしがちだった雰囲気もよくなって来たし、俺も歌わないで済むようになったしね。けれどまあ結局、一番救われたのは俺の友人だった。前のヴォーカルの娘が死んじまってからどうしようもないナーヴァス・ブレイクダウンに陥ってたそいつが、少しずつ落ち着き始めてさ。新参加の娘もだいぶそいつを気に入ったみたいで、なかなか微笑ましかったよ」

「ありそうな美談だな」

「そういうなって。俺もバンドの連中も、二人が打ちとけてるのを見て心底ほっとしたんだから。そいつはほんとに凄いギター弾きだったし───クリーム時代のエリック・クラプトンみたいでね───みんな本気で心配してたんだ」

「彼女の献身で完全復調か」

「まあ、多少、レイドバックした感じがあったけどね。俺はもうバンドには用無しだったからあんまり顔も合わせなくなった」旦那はマグ・カップを干した。「おい、もう一杯」

「話は終わりかよ、それで」

「まだ続くって。ほら、薬持って来い」

「話が済んでからだ」

「この野郎ぉ。───それから何か月かしてだな、街を歩いてたらそのギター弾きと出喰わしたんだ。喫茶店に入って世間話したんだけど、バンドもうまくいってるみたいでやたら上機嫌だったね。ところがそいつが云うにはさ、ここしばらく例のストラトキャスターをいじってるってんだな」旦那は壁のギターをちろりと見た。「奇妙なのは、ちゃんと鳴るってんだ。それもよく枯れた、とんでもなくいい音でさ。絃を上下逆に張って、左右反対に持って弾いてるらしいんだけど、そいつが云うんだ。『姿見の中に、ジミ・ヘンドリクスがいるんだぜ』ってさ。それを聞いた時には、なんだか嫌な予感がしたんだけどね」

 そういえば、ジミは左利きなのに普通のストラトキャスターを弾いていた。ちょうど鏡像になる訳だ。僕は黙って、旦那の言葉を待った。

「それからさらにひと月くらいして、そいつから電話があった。久し振りにギグをやらかすってんだな。俺はいそいそと出掛けてったんだけど、ヴォーカルが変わって凄味が減ったぶん骨太でゆったりしたのりが出るようになってて、ひと皮むけた感じがしたね。驚いたことに、ぽんこつギターも鳴るんだ。───異変が起きたのはアンコールだった。奴のギターソロが、まわりなんかお構いなしで止まらないんだ。まるで奴の内なるジミが目覚めたみたいな凄いソロだったんだけど、そのうちいきなり火花が飛んで奴は黒焦げさ。───まれにある、ギターのピックアップからの感電だったんだな。奴は死んじまったけど奇跡的にギターは無傷で、俺が形見に貰ったって次第さ。ま、元の持ち主が嫉妬したんだろうね」

「恐ろしい女だな」

「ああ。今日だってたまたま思い出してギターを引っ張り出したんだけど、忘れてほしくなくて俺を家から出さなかったんだぜ」

「ほんとかよ」

「ほんとさ。その証拠に、もう動ける」旦那はベッドを降りて、立ち上がった。「さて、ビールでも飲もうや」


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