東北大学SF研究会OB&OG情報・連載第9回

細川瑞彦、豪雪を呼び、
沢村武、彗星を呼ぶ!
超弩級結婚情報二連弾!!

たこいきおし


■さて、前号が出てからの東北大SF研OB&OG情報最大のトピックスといえばもちろん大御所細川さん(1郵政省通信総合研究所)のご結婚であるのは論を待たない。式は1月29日に行なわれ、翌1月30日にはSF研の主催による盛大な二次会が開催された。この二次会には世代番号1から10までのOB&OGがおよそ40人一同に会し、事実上史上最大規模のSF研OB&OG集会となった。

■ただ今回は結婚ファンジンなどの類は発行されなかった。五十嵐さん(3海上保安庁)の手になる二次会出欠葉書には祝辞を書く欄が設けられていたのでもしかして結婚ファンジンでも作るのかしらんと思っていたら、その祝辞葉書は生のままファイリングされて二次会の時に細川さんの手に渡されていた。しかしまあ流石の五十嵐さんとても葉書を回収して1週間でファンジンをでっちあげるなんて芸当はほとんど不可能ではあろう(笑)。

■さて、その葉書の束を読んでいたところ、糸納豆の前号の報道に対して、「『巨塔、ついに墜つ』はいくら何でもひどいと思った」という心優しい感想(笑)が星野(7翻訳家・藍堂令)から寄せられていた(笑)。そうだよねえ(笑)、いくら何でもちょっとアレはひどいよねえ(笑)。僕も書いてからそう思った(笑)。

■ちなみにこの件に関し、細川さん本人からは「巨塔は折れるか倒れるかするもので、墜ちるのは巨星だと思う」というコメントをいただいている(笑)。うむむ。僕も書いてからそう思わなくはなかったんだけど(だったら直せばいいようなものだが(笑))、はなはだもっともな御意見である(笑)。以後日本語の表記には気を付けよう(笑)。

■なお、細川さんの結婚した1月29日は東京でこの冬一番か二番くらいの大雪であった。この件については「まあ、細川さんが結婚するくらいだから、そりゃ雪ぐらいは降るよねえ」という意見が大勢を占めていた。まったく、東北大SF研の人たちというのはなんとあんまりな人たちなのであろうか(笑)。

■ところで細川さんの奥さんとなった貴世さんは年令不祥のとても可愛らしい方で、この二次会の席で貴世さんのファンになったSF研OB、OGは多い(笑)。

■で、細川夫妻は二次会の後新婚旅行に無事出発。行き先はオーストラリアであった。シドニーではちょうど半年間のオーストラリア研修中の小林さん(4特許庁)と会ったりもしたらしい。小林さんもちょうどいい時期にオーストラリアにいたものではある(笑)。

■なお、貴世さんはその旅行の際の第一印象がよほどよかったのか、小林さんには非常に好感を抱いているのだそうである(細川さん談)。小林さんの話では巨大なロブスターを食べさせてくれるレストランが決め手だったのではないか(笑)、とのことだが、その話をする細川さんのとても悔しそうな態度は、これはもう単なるやきもちにしか見えない(笑)。まあ、なんにしてもほほえましい話ではある(笑)。

■そういえばオーストラリアで思い出したんだけど、豊田(7横浜ゴム)の家には豊田の妹さんが買ってきたというオーストラリア土産の3匹のコアラの置物がある。オーストラリアでコアラというだけなら別段なんていうこともない筈なのだが、実はこの3匹、1匹は目を、1匹は耳を、最後の1匹は口を手で押さえており(笑)、どうみても日本人観光客専用のお土産だとしか思えないのである(笑)。
 しかしこれを買ってきてしまうあたり流石は豊田の妹さん、血は争えないというべきか(笑)。それとも長いつきあいで兄の喜びそうなものをよく知っているというだけのことかな(笑)。

■その豊田、新婚旅行でエジプト・ギリシャなど地中海一帯を回ったのだが、その折ギリシャで、ギリシャの風物の絵が側面に描かれた消しゴム付きの巨大鉛筆をお土産に買ってきたとかで、そのうちの1本を僕ももらった(笑)。ほとんど日本の場末の観光地のお土産物屋ででも売っていそうな代物が遠くギリシャの地でも売られていようとは(笑)。ギリシャ侮りがたし(笑)。

■ところで小林さんであるが、昨年(1993年)の電脳部室第1回オフ会に参加した翌日秋葉原にモデムを買いに走り通信の世界に足を突っ込んだのであったが、あれから1年半を経過して、今ではSF研で一番通信にハマっているといっても過言ではない状態に陥っている。なにしろ半年間のオーストラリア滞在中もほとんど毎日ニフティやその他のBBSなどにアクセスし、毎月の課金が5万円を越えるという状態であったというからすさまじい。とりわけオーストラリアに行ってからの活躍ぶりは電脳部室においてもその他の場所においても一気に活性化し、発言の質・量ともに他を圧倒していた。

■その原因はというと、小林さんが某フォーラム(笑)の某アニメ(笑)の会議室において知り合った人たちと、勢いでとある団体(笑)を結成してしまったことにある(笑)。この団体、名称を「[四字抹消]アダルト同盟(略称SMAD)」といい(笑)、結成当初はニフティ上のホームパーティーで、現在はパティオとして運営されている。

■で、日本に帰ってきてからの小林さんはその辺の人たちと某アニメ(笑)の遊園地着ぐるみショーを見に行ったり(笑)、コミケの売り子をしたりといった日々を送っている(笑)。

■で、すっかりそーゆー人(笑)になってしまった小林さん、先日は一人で某アニメ(笑)のミュージカルを観に行ったとか。しかし会場では小林さんの方に向かってしきりに手を振っている同好の士の人たちがいたとか(笑)、会場を出てから地下鉄でばったり会った人たちには雑誌に隠してミュージカルのカタログを携えていたのを見抜かれてしまったとか(笑)、胸ポケットにミュージカルのチケットが入っていたことまで目ざとくみつけられてしまったとか(笑)、一人で行動していても全く油断のできない状態であるらしい(笑)。

■その某アニメ(笑)ミュージカルであるが、仙台公演のTVCMを観たという平岩(6科学技術庁角田宇宙推進技術研究センター)は「あんなCMは即刻放映中止にするべきだ」との率直な感想を述べていた(笑)。まあ、宝塚的装飾を施されたど派手なセーラー服に金髪青髪緑髪(笑)などといった色とりどりのかつらをかぶった人たちが踊り歌う姿が突然お茶の間に乱入するのだからそれも無理からぬ感想かとは思うが(笑)、「アレが意外と舞台では映えるんだよ」という擁護派の小林さんの意見も一応紹介しておこう(笑)。
 なお当該ミュージカルに関しては、SFマルチタレントの大森望氏もファンであるらしいとの情報もある(笑)。

■さておき、そのとある団体は「全国大会」と称するオフ会なども開いているのであるが、その席では小林さんはヴァーチャルメイクアップ(笑)の脅威にさらされ(笑)、大変困惑している(笑)。
 因みに、ヴァーチャルメイクアップ(笑)というのは昨年(1993年)のSF大会(DAICON6)で暗黒星雲賞とかいう代物を受賞したという「セー○ーおやじ○ーン」を進化発展させたものだということである(笑)。宴会の席では多くの人がメイクアップ(笑)に参加し、幹事の小林さんがお店の店員さん相手に精算をしている間、その店員さんは思わず部屋の中を見ないように見ないようにしていたとのことである(笑)。まったく大変な話である(笑)。
 なお、その団体のパティオにおいては小林さんがマーキュリーにメイクアップ(笑)することを求める声が多数の人から寄せられ続けており、小林さんは本当に困惑している(笑)。

■…と、いうような話をリアルタイムでフォローしている僕も実はその団体の同盟員(笑)だったりするのだけど(笑)、それはまた別の物語ということにしておこう(笑)。いや、なに。僕がやったのはその団体の作った同人誌に「お楽しみはこれからだッ」を寄稿したりしたくらいのもんで、おとなしいもんですよ(笑)。ほほほほほ(笑)。

■とはいえ、小林さんはその団体の運営スタッフで、パティオでもとてもたくさん発言している(なにしろ小林さんの電脳部室への発言は週に一回くらいのペースだけどそっちのパティオにはほとんど毎日書き込みがあるもんなあ(笑))くらいで、おおむね良識的である(笑)。その団体でも「防波堤(笑)」とか「良心回路(笑)」とか呼ばれている(笑)。本人がヴァーチャルメイクアップ(笑)の道に足を踏み入れるようなことだけは絶対にないと思うので、皆さん御安心を(笑)。

■と、いったところで話を戻すが(笑)、細川さん御結婚記念お江戸会Specialの宴もたけなわというところで、沢千代さん(2東北大学病院形成外科)の口から「爆弾発言」が飛び出したのであった。その発言とは…

「実はわし、7月に結婚します」

…というものであった。

■「ぜひ沢村の口から発表して欲しい」という当日の主賓細川さんの肝入り(?)で行なわれたこの「爆弾発言」が思わず皆の度肝を抜いたのはいうまでもなかったりする(笑)。

■お相手は矢内範子さん。ヘアモード社という出版社でヘアスタイリング関係の業界誌「ヘアモード」の編集に携わっていたという大変な才媛である。昨年(1993年)の9月27日にお見合いしたということであるが、この日取りは川端(6大阪市立大学経済研究所講師)の結婚パーティーの司会をするために仙台に帰省していた(笑)僕とたまたま仙台に遊びに来ていた(笑)山浦(6札幌少年鑑別所法務技官)が沢千代さんとーるさん(東北ソフトウェアエンジニアリング)と仙台某所で遊び回っていたそのおおよそ一週間後ではないか。その時はそんな素振りは全く見せてなかったんだけどなあ(笑)。

■で。まあ。「婚約者をSF研の皆に紹介したい」との沢千代さんの意向から、5/28には昨年電脳部室第1回オフ会が行なわれたのと同じ国立の「さかなや」(糸納豆号参照、ただし前回のオフ会の後店舗の場所が変わった)で、『沢千代さんの婚約者の顔をみんなで拝む電脳部室オフ会(笑)』が開催された。

■さて、その席には範子さんのご友人で木村光佐子さんという女性も参加していたのだけど、なんというか、面白いことにSF研メンバーと話をしていてちっとも違和感がないのである(笑)。れんさん(3コニカ)がすっかり光佐子さんを気に入ってしまったこともあり(笑)、その後もSF研の飲み会によく顔を出している(笑)。

■その件に関しては、さかなやのオフ会の後紀文さん(2富士ゼロックス)の口から「アレは俺達の同類だぞ」とのコメントがなされている(笑)。

■その紀文さんであるが、電脳部室で「みさこはおれのものだ」発言を連発していたため、『さかなやオフ』当日は警戒を深めたれんさんと小川さん(5薬剤師)による「対紀文絶対防衛線」に阻まれて実は光佐子さんとはほとんど話をしていない(笑)。その割りに光佐子さんへの人物評価が的確(笑)であったあたりは流石というべきかもしれない(笑)。

■因みに問題の「みさこはおれのものだ」発言であるが、『さかなやオフ』の前であるから、当然SF研の誰も光佐子さんと会ったことのない段階でなされた発言である(笑)。なんなんだかな〜(笑)。

■なお、光佐子さん本人からは「『紀文さんというのは大変な人だから絶対に近づいちゃいけない』といわれてたんだけど、当日は全然お話できなかったのでどう大変な人なのかちっともわからなかった」とのコメントがなされている(笑)。れんさんと小川さんの「対紀文絶対防衛線」は完全に機能していたわけである(笑)。

■まあ、そういうような訳で、6/18に国分寺で行なわれた『小林さんの無事帰国を祝う電脳部室オフ会(略称・小林会(笑))』にも光佐子さんは参加していたのであった(笑)。因みに小林さん本人は3月いっぱいで研修のスケジュールを消化し帰国していたのではあるが、宴会のスケジュールが他のSF研OBと合わなかったために帰国祝いは6月までずれ込んでしまったのであった。

■で『小林会』の席では、長友さん(4富士電機)の「既にさかなやに参加してるなら、もう、装わなくてもいいんですね(長友さんは5/28のオフに不参加)」という言葉に光佐子さんが「別に装って下さっても結構です」と切り返す一幕や(笑)、前もって沢千代さんからあることあること(笑)吹き込まれていた(「小林君のことは、セーラームーンとうる星やつらなどのアニメが大好きな好青年ですと散々吹き込んでおいた」(沢千代さん談))光佐子さんが「セーラームーンが好きだそうですが、映画も観たんですか」と尋ねたのに対して小林さんが「いえ、その頃はオーストラリアにいたので観られませんでした」と大真面目に答える(笑)という一幕などが見られた(笑)。

■なお、『小林会』には参加できなかった紀文さんが電脳部室で「みさこに手を出すな」発言を行なっていたということは一応付記しておこう(笑)。

■と、いったところで話を戻すが(笑)、「さかなや」での盛り上がりに気をよくした五十嵐さんは突発的にニフティ上に「対沢村完全秘密主義HP(ホームパーティー)」を開設した。6/2のことである。これは沢千代さんの結婚をネタに沢千代さんには内緒で(笑)みんなで遊ぼうという趣旨で、沢千代さんの結婚式前後の仙台での宴会の企画や、やはり「対沢村完全秘密主義」で編集された『沢村武結婚ファンジン』の企画、編集などにおおいに活躍したが、その存在は電脳部室上ではひた隠しにされ、ついに最後まで沢千代さんには秘密のまま(笑)7/31をもってその使命をまっとうした。

■なお、東北大SF研外の人のために一応解説しておくと、「対沢村完全秘密主義」というフレーズは特に五十嵐さんが好んでよく使うもので(笑)、いにしえの昔、森さん(3コニカ)と五十嵐さんがSF研副会誌Negligenceの3号を編集していた際、初めはみんなに公平に秘密な「完全秘密主義」で編集を進めていたのが、次第次第に情報がリークして全く秘密でも何でもなくなってしまい(笑)、それでも「秘密主義」を信用していた沢千代さんだけにだけは最後まで「秘密主義」がまっとうされたのを称して「対沢村完全秘密主義」と表現した(笑)、という故事に基づいている(笑)。

■と、まあそんなこんなの盛り上がりのうちに、沢千代さんの結婚式の日はやってきた(笑)。7/17のことである(笑)。賢明な読者諸君は既にお気づきと思うが、この日は例のシューメーカー・レビー彗星が木星に自滅的な突入を敢行したのと同じ日である(笑)。もちろん式の日取りが決まったのは彗星の木星突入が判明するより前のことであるのだが、偶然にしてはあまりに面白すぎると思う(笑)。

■と、いうことで、7/16には前日から仙台入りしていたSF研OB&OGと一部の仙台在住OBが集まってこじんまり(?)と沢千代さん&範子さんをお祝いする宴会が仙台某所の(一部SF研OBにはお馴染みの(笑))イタ飯屋「常長」で開催された。しかし面子の中に三浦さん(2中部電力)紀文さんれんさん森さん五十嵐夫妻松永さん(5大林組)までを含むこの宴会、ほとんど「武蔵野会仙台分会」とでも呼んだ方がよさそうな様相を呈していたことは否めない(笑)。

■なお、幹事のたこい(6サッポロビール)はこの会の精算を済ませた後、終電の到着した地下鉄冨沢駅で意識を取り戻すことになる(笑)。本来降りるべき泉中央駅とは正反対方向であり、たこいが地下鉄に乗ったのが終電にはまだ充分以上に余裕のある時間であったことを考えれば、この事実は当該宴会がいかに盛り上がったものであったかを示す一つの証明であろう(笑)。
 その後たこいは駅員さんの勧めに従い、やはり寝過ごして冨沢駅で目を覚ましたバイト学生と二人割勘で、泉市までタクシーで帰宅した(笑)。なお、たこいが仙台市地下鉄で仙台駅より南方向の駅に足を踏み入れたのはこの日が初めてであることをつけ加えておく(笑)。

■因みに、一部のOB&OGは「常長」の後もさんざんな盛り上がりを見せ(笑)、朝の3時まで飲んでいたとの由(笑)。そのため、たこいと二人で受付をする予定であったとーるさんは11時の受付開始に遅刻した上に、本人曰く「立っていると気持ち悪い」という状態で(笑)、受付としてはあまり役に立っていなかった(笑)。

■なお、当日会場に一番乗りしたのは、結婚式の行なわれるホテルメトロポリタン仙台に宿泊していた紀文さんと森さんであった。因みに松永さんもメトロポリタンに宿泊していたのだが、なんでもこのホテル、大林組の社員は割引料金で利用できるらしい(笑)。

■ホテルメトロポリタン仙台といえば、桑原(7東北大学病院眼科・留学中)の結婚式もここで行なわれた。SF研出身の医師はメトロポリタンで結婚する、というのはジンクスになるかもしれない(笑)。今村さん(3兵庫県立高齢者脳機能研究センター)の結婚の時はメトロポリタンはまだできておらず、桑原以降SF研に医学部生がいないことを考え合わせれば、このジンクスが破られることはまずあるまい(笑)。

■式の詳細については、「沢村武結婚ファンジン」掲載の「披露宴全記録」に詳しいのでここでは割愛させていただく。しかし結婚式の席次表の出席者の名前の上に「新郎友人」ではなく「東北大学SF研究会OB」などという肩書きが堂々とつけられた結婚式は、これが空前にして絶後であろうと思う(笑)。

■その席次表で「東北大学SF研究会OB」の称号(笑)を付されていたのは合計14名。他に「新郎角田高校友人」として参加していた秀樹さん3と海野夫妻(5住宅金融公庫&5専業主婦)の一人娘はるかちゃんを含めると関係者は16名。式そのものが100名規模であったことを考えれば沢千代さんがいかにSF研を重要視しているかが伺えると思う(笑)。

■なお、式の後仙台駅エスパル地下街の某所で『沢千代さんの結婚を祝う電脳部室仙台オフ・みちのく会Special』が開催された。会が始まってちょっと経ったところで「列車の時間までまだ間がある」と沢千代さんご夫妻が参加したので、これは実質的には披露宴二次会といっていいかと思う(笑)。この会は上は細川さんから下は世代番号12の学生(といっても留年生か院生だが(笑))まで参加しており、事実上、SF研史上最も世代レンジの広い飲み会となった(笑)。

■なお、会はその後場所を中央通りに移して三次会(?)まで行なわれたが、件の「新婦友人」木村光佐子さんは二次会三次会まできっちり参加して、森さんれんさんと一緒に新幹線の最終で東京に帰っていった(笑)。なお、結婚式での光佐子さんの席は「東北大学SF研究会OB」と同じテーブルで(笑)、小川さんの隣であった。

■沢千代さん関係のイベント(?)はこのあと8/31の「沢村さん・範子さんご結婚ファンジン〜お医者の直情な愛情、もしくは私はいかにして独り者でいるのをやめて範子さんを愛するようになったか」の発行、さらに9/10の新郎友人新婦友人の合同での東京二次会とつづくのだが、この話はこのくらいにしとこう。

■一言だけ付言しておくと、森さんが入社年目のリフレッシュ休暇を含む19日間の夏休みとと自慢のウィンドウズ環境を惜しげなく投入して完成させた「沢村武結婚ファンジン」は文句なくSF研結婚ファンジン史上頂点を極めたといっていい完成度を誇る。DTP時代のファンジンの一つの理想形であろう。まだ残部はあった筈なので、森さんに連絡すれば入手可能だと思う。たこいの手元にもいくらかは在庫をもらってきているので、興味のある方は森さんかたこいまで御連絡を(森さんの電話番号は糸納豆前号参照)。

■と、いったところでSF研OB&OG情報第二の柱(笑)、「電脳部室G-15」情報に移ろう。しかし(笑)、今回はもうあまりスペースが残ってないな(笑)。

■「電脳部室G-15」は今年の1月15日をもってニフティ・サーブ上の拡張ホームパーティーからパティオに移行を果たした。
 拡張ホームパーティーが保持できるテキストは1000行だが、パティオは行数にかかわらず512発言まで保持しておくことができる。このシステムはニフティのフォーラムの旧システムに準じるものであり、要するに「会議室が一つしかないフォーラム」を個人で開くことができる訳である。
 これ即ち、電脳部室の活況がもたらした一つの成果といえる。

■さて、糸納豆前号の発行後に電脳部室に参加したメンバーは以下のとおり(電脳部室への登場順)。
 川端(6大阪市立大学経済研究所)
 大堀さん(10東北大学農学研究所修士課程)
 泉沢さん(7家事手伝い?)
 井熊明子さん(3兼業主婦・在宅勤務)
 紀文さん
 松永さん
 野崎くん(12横浜市立大学文理学部)
 細川さん
 よっちゃん(3産業翻訳家・フリー)
 粟津くん(11NTT)

■川端は、糸納豆の前号で「生活に疲れていて部室にアクセスする心の余裕がない(笑)」と報道されたのに刺激されてか(笑)、今年の1月1日から(笑)ぼちぼちと書き込みを始めた。
 その後、3〜4月にアメリカに短期留学してからは、心にゆとりができたのか(笑)、専門のアメリカ鉄仮面……じゃなくて(笑)、アメリカ鉄鋼業の現状についての考察やら、『ウルトラセブン』論やらを短期間に大量にアップし始めた(笑)。
 小林さんのオーストラリア研修中の状態とも考え合わせると(笑)、「数ヶ月単位の短期間の日程で海外に行った人間は通信で活性化する」という法則が見出せそうな気がする(笑)。

■因みに、小林さんは日本に帰ってきてからも活性化しっぱなし(流石に発言数は随分減ったが(笑))であるが(笑)、川端はGWが終わって帰国して以降はほとんど発言がなくなった(笑)。どうやら、日本にいるとやはり生活に疲れてしまうらしい(笑)。

■大堀さんは昨年(1993年)末にニフティに入会し、年頭からぼちぼち書き込みを始めた。3月には勤め先(日立製作所)を退職して、4月から東北大学農学研究所(…だったと思うんだけど、最近農学系は「応用生物何とか」と改称されることが多いので正式名称が違うかもしれない)で大学院生をしている。

■そうそう。退職といえば、よっちゃんも4月末日でもって東ソーをやめて、現在はフリーの産業翻訳で生計を立てているということである。翻訳を生業にするSF研OBとしては星野に続いて第2号ということになる(仕事の性質は随分違うんだろうけど)。

■なんとなく同じような話が続くが、電脳部員で最も若手の野崎くんは今年の4月から横浜市立大学に入学しなおして、二度目の大学生生活を始めたとの由。僕が現役世代とのパイプを持っていないということもあって糸納豆ではあまり報道したことはなかったが、世代番号二桁は教養部4年で放校もしくは中退のパターンが実はけっこう多いのである。

■と、いったところでSF研OB&OG情報第三の柱(笑)、「SF研マック・ユーザー情報」に移り……たいところだが残念ながらもうスペースがない(笑)。その辺は次号回し、ということで今回はこの辺で失礼(笑)。


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